百科事典マイペディア 「ブラーム」の意味・わかりやすい解説
ブラーム
→関連項目自由舞台
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ドイツの演劇改革者。ハンブルグに生まれる。大学でドイツ文学を修め、編集者、劇評家として活動していた。1889年にフランスのアントアーヌの例に倣って、数人の同志とベルリンに会員組織の自由舞台を設立し、イプセンの『幽霊』やハウプトマンの『日の出前』をマチネー形式で上演した。94年にドイツ座の監督となり、自らは演出しなかったが、演出を重視し、自然主義的な演技様式を徹底化したアンサンブルをつくりあげた。俳優として契約したラインハルトが、新ロマン主義、印象主義的な時流にのる演出家として有名になると、彼に監督の座を譲り、1905年にレッシング座の監督となった。自然らしさを重んじ劇的なものを排除した禁欲的な態度は、ラインハルトと対照的であった。
[岩淵達治]
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…19世紀後半のフランスは,商業主義に基づいたスター中心主義,ウェルメード・プレー(いかにも〈お芝居〉らしく巧みに作られた作品)全盛の時代であったが,そのような演劇への根源的レベルでの反抗として,そしてまた,時代の有力な文学上の思潮であった自然主義の影響下に,アントアーヌを一人の媒介者として生まれ出たのがこの自由劇場であった。 この運動とそこに含まれる精神は,すぐにヨーロッパ各国に波及して,オットー・ブラームの〈自由舞台〉(ドイツ),グラインJacob Thomas Grein(1862‐1935)の〈独立劇場Independent Theatre〉(イギリス)など,同様の演劇的精神(とまた類似の名称)をもったいくつかの劇場も生まれたので,広義にはこれらの劇場を拠点とした演劇運動も含めて〈自由劇場運動〉と呼ぶ場合も多い。 いずれにせよ,この流れはいわゆる近代劇の勃興・発展の中核をなすものであり,そのような視座からとらえれば,モスクワ芸術座にせよ,アイルランドのアベー座にせよ,あるいはさらなる派生としての日本の〈自由劇場〉にせよ,すべて同じ一つの歴史的潮流として展望することが可能であろう。…
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