精選版 日本国語大辞典 「ブリタニア」の意味・読み・例文・類語
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イギリスの古称。とくに古代ローマの州があったグレート・ブリテン島南部のローマ(ラテン語)名。「ブリトン人の国」の意味で、当時グレート・ブリテン島南部に住んでいたブリトン人に由来する。旧石器時代より狩猟の跡がみられるが、早くから北西ヨーロッパのケルト人が優れた青銅器文明をもたらし、紀元前4世紀にはラ・テーヌ文化の影響下に鉄器文明が発展した。前75年ベルガエ人がブリテン島南部に来てベルガエ人の王国を建設、前55~前54年ガリア遠征中のカエサルの攻撃を招いた。紀元後43年ローマ皇帝クラウディウス1世の遠征で、ブリタニアはローマの支配下に入る。79年ごろアグリコラ将軍の下で北辺が鎮定され支配が安定した。122年皇帝ハドリアヌスが渡来して長城を建設し、国境とした。続いてその北にアントニヌスの長城が設けられたが、これは短命であった。ブリタニアはローマの皇帝領として経営され、各地でローマ的都市の建設も進み、それらを結ぶ道路も整備され、農村でもローマの制度を取り入れた私有大領地経営が進められた。穀物、毛織物のほか、鉱産資源も豊かであった。ローマ以前にはケルト人の宗教ドルイド教が行われていたが、それ以後はローマの主神ユピテル(ジュピター)信仰やキリスト教も入り、4世紀には3人の司教がいた。4、5世紀からスコット人、アングロ・サクソン人の侵入が激化してローマが撤退したのち、各地にブリトン人の結集とブリトン文化の復活をみた。
[富沢霊岸]
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イギリスのブリテン島のローマ時代の呼称。この島の大部分は1世紀半ばから5世紀初めまでの間ローマの属州となった。その名称は当時この地に居住していたケルト系のブリトン人に由来する。
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…【香内 三郎】
【歴史】
[先史時代]
はるかな太古,地表の大部分がまだ厚い氷河で覆われていた旧石器時代には,イギリス諸島は大陸と地続きであった。グレート・ブリテン島(ブリタニア)で発見された最古の化石人類(旧人)はスウォンズコーム人で,約25万年くらい前のものと思われる。以後大陸からさまざまの人類が移り住んで,採集・狩猟・漁労の生活を営んだ。…
…プレタンニカとはケルト語の〈彩色した〉人,すなわち入墨した部族の意味である。しかしローマ時代に入ると,最も遅くこの島へ移住したケルト系ブリトン人にちなむ〈ブリタニア〉の名称が定着し,今日のブリテンとなった。正式にグレート・ブリテンの名称が採用されるのは,1707年にイングランドとスコットランドが合同して連合王国を形成したときであり,フランスのブルターニュ地方をさすリトル・ブリテンと区別するため命名された。…
※「ブリタニア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...
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