ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブリヤート族」の意味・わかりやすい解説
ブリヤート族
ブリヤートぞく
Buryat
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…ザバイカル地方のブリヤート族(今のロシア連邦のブリヤート共和国に居住)におけるラマ教主。ブリヤート族の間にラマ教が伝来したのは18世紀初めのことであるが,その普及の勢いはめざましく,約半世紀後にはザバイカル地方全域に及んだ。…
…オイラート族の一部は17世紀初めにロシア領内のボルガ川下流域地方へ移住して,ボルガカルムイクと呼ばれ,ラマ教信仰を守ったが,今はカルムイク共和国を作っている。 ザバイカル地方のブリヤート族の間に黄帽派ラマ教が広まったのは18世紀前半からであるが,普及の速さはめざましく,1846年にはザバイカル全体でラマ廟34,ラマ僧4500余人,信者12万余人を数えた。ラマ教界の統轄者としてパンディタハンボラマが1764年以来置かれ,その歴代の就任には帝政ロシア政府の承認を必要とされた。…
※「ブリヤート族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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[1864~1915]ドイツの精神医学者。クレペリンのもとで研究に従事。1906年、記憶障害に始まって認知機能が急速に低下し、発症から約10年で死亡に至った50代女性患者の症例を報告。クレペリンによっ...
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