精選版 日本国語大辞典 「ブールジェ」の意味・読み・例文・類語
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フランスの作家。アミアンの生まれ。詩人として出発したが認められず、『現代心理論叢(ろんそう)』Essais de psychologie contemporaine(1883)、『続現代心理論叢』(1886)によって批評家として名をなした。これは当時の時代的代表者と目される作家たちの心理分析を試みた名著であるが、とくに当時まだ不当な取扱いを受けていたスタンダールの再評価をした功績は大きい。その後小説も書き始め、『残酷な謎(なぞ)』(1885)、『アンドレ・コルネリス』(1887)、『嘘(うそ)』(1887)などの心理小説の次に、問題作『弟子』(1889)を発表した。これは、当時の実証主義や科学万能主義によってもたらされた精神の危機を鋭くつくとともに、研究発表に際しての学者の道徳責任を追及して大きな反響を巻き起こした。1894年アカデミー会員に選ばれた。この『弟子』を転機としてフランス伝来の宗教、道徳を重んじる伝統主義者となり、『宿駅』(1902)、『離婚』(1904)、『真昼の悪魔』(1914)、『死の意味』(1915)、『われらの行為はわれらを追う』(1927)などの小説を発表。彼は若き日にテーヌの影響によって実証主義の洗礼を受けたが、1905年にはカトリックに改宗、思想的にも右傾し「アクシオン・フランセーズ」の政治運動に加わるようになった。
[新庄嘉章]
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…ロシアのニヒリストたちがアレクサンドル2世を暗殺して処刑された年,すなわち1881年の秋の遺稿で,ニーチェはすでに,おそらく彼らの立場を指してニヒリズムという語を用いている(のちのいわゆる〈能動的ニヒリズム〉)。彼がもっと広い一般的な意味でこの語を用いはじめたのは,おそらくブールジェの《現代心理試論》(1883)からデカダンスについて学んだことに関係して,86年夏以来のことである(いわゆる〈受動的ニヒリズム〉)。彼はさらに同年末以降,ドストエフスキーの《主婦》《虐げられた人々》《死の家の記録》《悪霊》などをフランス語訳で読み,地下的・流刑囚的生活者の力強い意志,およびキリスト者の病的な心理について学ぶところがあった。…
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