…前8世紀後半ナイル第4急湍地方のナパタに興ったエチオピア人の王がエジプトを征服(第25王朝),アメン信仰の復興など文化の再建に努めるが,前671年アッシリア王エサルハドンにタハルカTaharqa王が追われ,エジプトはアッシリア帝国の一部となる。しかし将軍プサンメティコス(プサメティコス)1世がイオニア人傭兵の援助でアッシリアから自立(第26王朝),文化の復興のため古王国時代の芸術・言語・文字を模倣した復古主義を推進した。王はイオニア人傭兵をデルタに植民させ,のちアアフメス(アマシス)2世Aahmes IIがメンフィスに都を移したが,ギリシア人商人のため植民市ナウクラティスの建設を許可,ギリシア交易の独占権を与え,経済の復興の一助とした。…
※「プサメティコス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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