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ロシアの提督,政治家。海軍兵学校の出身。1842年カスピ海におけるロシアの権益を守るためイランに派遣された。52年日本との条約締結の命をうけ軍艦パルラダ号に乗船してクロンシタット港を出帆,翌53年8月(嘉永6年7月)に長崎に入港して開国・通商と千島・樺太の国境画定を求めた。おりからクリミア戦争前夜でイギリス,フランス両国との関係が悪化したためいったん長崎を退去,54年1月(嘉永6年12月)再び来航して幕府が派遣した筒井政憲,川路聖謨(としあきら)らと会談を重ねたが,交渉は不調のまま長崎を去った。しかしロシア領沿海州でディアナ号に移乗して54年11月(嘉永7年9月)大坂湾に姿を現し,ついで下田に入港,55年2月(安政1年12月)日露和親条約を締結した。談判中に大津波にあってディアナ号を失い,伊豆戸田(へだ)で新艦を建造した。帰国後,功績によって伯爵の位を与えられ,61年農奴解放直後の激動期に文部大臣に任命されたが,半年足らずで辞職した。
執筆者:中村 喜和
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ロシアの海軍提督。遣日使節。1822年海軍兵学校を卒業、ラザレフの世界周航探検隊に参加し、ペルシア派遣使節などを経たのち、日本との国交および通商関係樹立の特命を受け、53年(嘉永6)7月18日、パルラダ号以下軍艦四隻を率いて長崎に来航した。ロシア皇帝の国書を手交し、千島(ちしま)・樺太(からふと)(サハリン)の測量と開国通商を求めたが調わず、同年12月5日再度来航して長崎で通好条約、国境問題の交渉を開始した。クリミア戦争の勃発(ぼっぱつ)により、翌年1月一時上海(シャンハイ)に退いたが、その後も長崎、樺太、箱館(はこだて)などに現れて機をうかがい、12月21日下田(しもだ)において日露通好条約を結んだ。下田滞在中に津波にあって乗船ディアナ号を失い、戸田(へだ)で代船ヘダ号を建造させた。これがわが国での西洋型船建造の始まりである。その後、57年(安政4)9月7日長崎で日露追加条約、翌年7月11日江戸で日露修好通商条約および付属貿易章程の調印に携わり、その功により海軍大将に昇進した。以後文部大臣、国務顧問官などを歴任し、83年10月16日パリで没した。
[小林真人]
(内海孝)
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1804.11.7~83.10.16
ロシアの海軍将校・政治家。1822年海軍兵学校を卒業。3年間の世界周航演習後,海軍士官として数々の武勲をたて,40年代以降はおもに外交官として活躍。52年通商開始と国境確定のため日本にむけ出発,53年(嘉永6)長崎に来航した。クリミア戦争勃発により優勢なイギリス艦隊と交戦状態にあった困難な状況下で,55年2月(安政元年12月)下田で日露通好条約を締結した。アロー戦争処理のため中国に派遣され天津(てんしん)条約(1858)を結ぶが,その前後長崎に赴いて日露追加条約(1857)と日露修好通商条約(1858)を締結。帰国後海軍大将となり,文部大臣・国務顧問官を務めた。誠実な人柄や日本の国法を重んじる態度は幕府の役人にも好印象を残した。
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1804~83
ロシア軍人,外交官。海軍中将プチャーチンは1852年命を受けて,軍艦パルラーダ号で世界を半周し,53年8月長崎に入り,日本と国交交渉を開始した。日本側と心を通じさせることに成功し,55年2月日露通好条約に調印した。帰国までに3年2カ月を費やして使命を達成した結果,帰国後伯爵に叙せられ,61年には文部大臣に任命された。
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…海軍士官ネベリスコイG.I.Nevel’skoiらによって外洋を航海する船もアムール河口に出入りできることが確認され,またサハリン北部において良質で豊富な石炭層が発見されたことにより,この島の戦略的・経済的重要性が著しく高まり,53年(嘉永6)ロシア政府は露米会社にその占領を命じた。同年長崎に来航したロシア使節プチャーチンも,幕府にサハリンおよび千島の国境画定を要望し,その結果55年2月7日(安政1年12月21日)の〈日露和親条約〉ではサハリンは両国の間で〈界を分たず〉と規定された。幕府は1821年以来松前藩領に復していたこの島を,55年に再び直轄して漁場を北緯49゜付近まで拡大し,またロシア側は少数の兵士を北緯48゜のイリインスキー(久春内(くしゆんない))地峡に定住させるなど,日露両国のサハリン進出が積極化した。…
…日露修好条約,安政条約などともいう。ロシア側全権の海軍中将プチャーチンは1852年10月出発以来,帰国までに3年2ヵ月を費やして使命を達成した。クリミア戦争の開始や旗艦ディアナ号の沈没などの苦難があったが,平和的な外交交渉に徹して,ペリーの用いた軍事力の誇示も一切行わなかった。…
※「プチャーチン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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