精選版 日本国語大辞典 「プトレマイオス」の意味・読み・例文・類語
プトレマイオス
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2世紀前半に活躍したギリシアの天文学者。天動説の完成者。英語ではトレミーPtolemyとよぶ。伝記も残らず生没年は不詳。彼の名は、著書『数学大集成』(アルマゲスト)をはじめとする業績によって知られている。『アルマゲスト』は、ルネサンスまで、西洋の宇宙観を支配したが、そこに構想された宇宙像は、周転円説といわれる構造体系であって、ピタゴラスの等速円運動と、エウドクソスの離心円と、アポロニオスの周円転とを合成したものであった。
プトレマイオスはもっぱら惑星現象における位置と光度との変化を幾何学的に説明することを試みた。その思考方法も観測資料も、紀元前2世紀にロードス島で活躍した天文学者ヒッパルコスの業績を受け継ぎ、取り入れたといわれるが、独自に三角法の計算表を作成したり、四分儀をはじめとする観測器械を考案したり、月の運行の不等速や光の屈折や大気差などの観測、発見も行っている。
このほかにプトレマイオスには『地理学』と『テトラビブリオス』(四元の書)なる著述がある。前者には緯度・経度を付した円錐(えんすい)投影図法の地図が描かれ、後世、コロンブスの航海に用いられた。また後者は占星術の原典として中世を経て、今日に至るまでその分野では使用されるという。なお、彼の自然に対する哲学思想は諸先達の折衷学派に属する。
[島村福太郎]
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生没年不詳
アレクサンドリアの天文学者,地理学者,数学者。2世紀頃のその地球中心の宇宙体系説を述べた『天文学大全』はアラビア語にも訳され,近世初めまで支配的学説となった。地球の大きさの測定,経緯線の設置でも知られる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…アウグスティヌスの例のように,プラトンや新プラトン主義的宇宙観を身近に感じつつ,しかも,そこに含まれる魔術的・占星術的要素を忌避して留保を付するというのが,キリスト教の側のとった基本的態度であったといってよい。 一方,宇宙内で生起する現象,とくに天体現象に関しては,アレクサンドリア学派,とくに2世紀のプトレマイオスが《アルマゲスト》の中で展開したモデルによって,間然するところなく説明されることになった。彼は,前3世紀サモスのアリスタルコスの唱えた太陽中心的なモデルも十分検討したうえで,なお,地球中心的モデルを採用したが,それは天文学上の理由というよりは運動学的理由であったといってよい。…
…このことはテオフラストスを継いだリュケイオンの学頭ストラトンが,ついにアレクサンドリアに移ったことによっても象徴されている。ここではプトレマイオス朝の君主が学術研究の殿堂ムセイオンを建て,あらゆる研究施設(図書館,天文台,実験室,解剖室など)を整えて科学研究を熱心に奨励した。そこで科学は制度化,専門化され,アテナイ期の哲学的議論を超え出た高度に技術的かつ精密な科学が発達した。…
…もっとも古い記録は前2283年のメソポタミアにさかのぼることができ,前8世紀の初めころからはメソポタミアや地中海沿岸のほかにヨーロッパのものも加わってくる。これらの古記録を月の運動理論の改良に用いた最初の研究者はプトレマイオスであるが,同じ資料は現代に至るまで繰り返し用いられている。また,月食は日食と同じく凶兆とされたため,これらの記録は歴史的な事件,とくに戦争などと密接に関係づけて述べられていることが多いので,天文年代学の貴重な資料でもある。…
…その後アリストテレスは同心天球説に依拠しながら,階層構造的に秩序づけられたコスモスとしての宇宙論を完成させた。そしてアリストテレスの宇宙論は,古代末期にプトレマイオスの練りあげた離心円・周転円の天文学によって部分的に修正を受けながらも,その後2000年近くもの間,ローマ,アラビア,ヨーロッパへと受け継がれながら,つねに支配的な地位を確保することになる。これが解体を始める契機となったのは,16世紀中葉にコペルニクスの提唱した地動説であるが,世界像が価値的な観点から完全に脱却するには,デカルトの出現を待たねばならなかった。…
…北緯8゜5′,東経77゜36′に位置する。古くは,プトレマイオスの地図にコマリア・アクロンKomaria Akronと記載され,マルコ・ポーロもコマリComariと呼んだ。独立後は,岬の先端に建つ処女神クマリを祀る寺院の名にちなんで,カニヤー・クマリKanyā Kumariと呼ぶ。…
…古くは,ギリシア人やローマ人が,シリアやアラビア半島のアラブをさして呼んだギリシア語のサラケノイSarakēnoi,ラテン語のサラケニSaraceniなどの語に由来するが,その語源はアラビア語のシャルクsharq(〈東〉の意),サフラーṣaḥrā’(〈砂漠〉の意)など諸説があり,定説はない。2世紀のプトレマイオスはその地理書で,サラセンの語を用いてアラブに言及している。7世紀にアラブ・イスラム軍がビザンティン帝国を破り,西アジアから北アフリカ,イベリア半島までの地域を支配するようになると,サラセンは,イスラム教徒をさす呼称として用いられるようになり,同地域を支配したウマイヤ朝やアッバース朝は,しばしば〈サラセン帝国〉と呼ばれた。…
…当時のギリシアの価値観には,そうした傾向があったのである。 ギリシアには後にも円錐曲線を扱ったペルゲのアポロニオス,正弦の表をつくり惑星の運動を記述したプトレマイオス,記号代数を用い始め,数論の問題を扱ったディオファントスなどの数学者があり,それぞれ後世に影響を及ぼしている。
[代数学の起源――アラビアの数学]
前1世紀に帝政ローマが成立し,ギリシア文化圏も政治的にはその制圧下におかれた。…
…ここにはプレヤデスを単独星座にした黄道13星座,北天19星座,南天15星座が記録されている。さらに下って2世紀に活躍した天文学者プトレマイオスはその著作《アルマゲスト》の第7,第8の2巻を星表とし,ここに48星座を記録している。またローマの詩人オウィディウスは叙事詩《転身物語》でギリシア神話の神々や英雄の物語を述べているが,今日語りつがれている星座の神話はこの著作に負うところが多い。…
…地図に経緯線を記入した最初の人はアレクサンドリアのエラトステネス(前3世紀)とされており,著名な地点のみを通る直線の経緯線が不等間隔に引かれていたという。地図学の水準を今日と大差ないまでに引き上げたのは,後2世紀のアレクサンドリアの天文学者プトレマイオスで,正距円錐図法とプトレマイオス第2図法を考案し,約8000地点に及ぶ世界各地の経緯度数値を資料として世界図を描いた。図形の特徴としては,東方に延びるアフリカがアジア東南部と接続していること,インド半島がなく,赤道にまたがる大きな島タプロバネ(セイロン島)があることなどである。…
…敦煌が中国より西域に通ずる門戸であるという体制は,このように前漢時代にすでに整い,以後その役割をつとめつづけ,西方の世界にもシルクロード上にある都市の名として敦煌の名が伝えられた。漢民族以外の人々による敦煌に関する記録として最も古いのは,2世紀のアレクサンドリアの学者プトレマイオスの《地理書》で,その第16章にセリカの都市として挙げたThroanaが敦煌のことであるとみなされている。 敦煌は,何といっても河西通廊の最西端にあり,中原から遠く離れているので,中央政府が弱体化すると,しばしば独立ないし半独立し,ときには近傍のオアシス都市と連合して小国家をつくった。…
…後1世紀のギリシアの船乗りディオゲネスは,東アフリカ海岸から内陸部にはいり,ナイル川の水源が二つの湖であるとの情報をもたらした最初の人である。2世紀のアレクサンドリアの地理学者プトレマイオスはナイル水系図に二つの大湖を描いた。中世には,ナイル川,ニジェール川,コンゴ川,チャド湖は同一水系に属するものとみなされていた。…
…生涯についてはまったくわからない。西方イスラム世界で展開されていたプトレマイオス批判を受け継ぎ,独自の理論を提唱した。これはプトレマオスが用いた黄道面付近での離心円や周転円を排し,地球を中心とする天球の球面上でのみ,天体の運動を説明しようとするものであった。…
※「プトレマイオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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