精選版 日本国語大辞典 「プリーストリー」の意味・読み・例文・類語
プリーストリー
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イギリスの化学者.織物仕上げ職人の息子として,リーズ近郊に生まれ,ダヴェントリーの非国教派のアカデミーで学んで,牧師となる.職業としては終生牧師ならびに教師であった.18世紀のイギリスの空気化学の頂点となる研究をなすが,ほかに神学,教育,歴史,伝記,法学,政治についてなど,非常に数多くの著作を著している.1761年ウォリントン・アカデミーの古典語の教師職に就くが,このときに化学へ関心をもつようになる.同時に,B. Franklinと接し,“電気学の歴史と現状”(1767年)を著す.1767年リーズのユニテリアン派の牧師に招へいされ,醸造所の隣りに住むこととなった.このことが契機となり,発酵する麦芽汁から出る固定空気(二酸化炭素)について本格的な実験研究をはじめ,ソーダ水の発明へと至る.1773年William Pettyに司書兼顧問として雇用され,十分な給料を得る.そうして可能になった十分な時間で,気体について驚くほど多くの実験を行い,20種類もの新しい“空気”をつくり出した.そのなかには,硝空気(一酸化窒素),硝蒸気(二酸化窒素),減容硝空気(一酸化二窒素),硫酸空気(二酸化硫黄),可燃性空気(一酸化炭素),海酸(塩化水素),フッ酸空気(フッ化ケイ素)が含まれている.また,1774年8月水銀灰(HgO)を密閉容器のなかで熱して,“脱フロギストン化空気”(酸素)を得た.同年10月パリを訪れたかれは,この実験結果をA.L. Lavoisier(ラボアジエ)に直接伝え,その酸素理論の形成に大きな刺激を与えた.1780年かれはPetty卿の年金を保持したまま,バーミンガムの新礼拝会の牧師となり,その地の有名な月光協会(Lunar Society)の会員となった.1791年バーミンガム暴動で,急進派の最先鋒とみられていたかれの私宅が襲撃された.1794年家族を連れてアメリカに移住し,声のかかった牧師職も大学教授職も受けずに著述に専念した.そのなかには,新しい革命的なラボアジエ化学に対して,フロギストン説を擁護する“フロギストン理論の考察”(1796年)が含まれる.H. Cavendish(キャベンディッシュ)が開発した,水溶性の気体を水銀上で捕集する方法を完成させたのもかれである.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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1733~1804
イギリスの聖職者,化学者。1774年酸素を分離することに成功,また植物が呼吸することを発見した。イギリス功利主義の先駆者でもあり,フランス革命を支持したため,91年バーミンガムの自宅と実験室を暴徒に襲われ,アメリカに移住。ペンシルヴェニアで余生を送った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…それゆえ,〈科学の歴史〉をたどろうとする試みも,19世紀西欧に始まったといってよい。たとえば,イギリスのJ.プリーストリーの一連の先駆的な仕事,そしてフランスのA.コントが提案した〈科学の歴史histoire de la science〉や,イギリスのW.ヒューエルの著した《帰納科学の歴史》(1837)などが,そうした試みを代表する。もとよりそれ以前にも,すでに個別の学問として成立していた数学や,天文学,医学などに関しては,それぞれに,個別的な学問史が書かれたことがあった(たとえばルクレールD.Leclerc(1652‐1728)の《医学史》(1696,1723)やドランブルJ.Delambre(1749‐1822)の《古代天文学史》(1817)など)が,科学が一つの理念として成立しはじめる19世紀半ば近くになって,ようやく科学史という学問もその理念を体して誕生したといえよう。…
…空気中の酸素は燃焼や動物の呼吸作用によって消費されるが,一方,植物の同化作用によって二酸化炭素が分解されて酸素が供給され,バランスが保たれている。 イギリスのJ.プリーストリーは1774年,赤降汞(せきごうこう)(酸化水銀(II)HgO)を大きなレンズ(日取りレンズ)を用いて太陽光によって加熱し新しい気体を得た。 HgO―→Hg+1/2O2この気体は燃焼を支える力が強く,動物は普通の空気の中よりもこの気体の中のほうがずっと長く生きることがわかった。…
…清涼爽快な香味をもつ無酒精飲料(アルコール分が全容量の1/100以下)の総称。1900年の内務省令による〈清涼飲料水営業規則〉で,〈販売の用に供するラムネ,リモナーデ(果実水,ハッカ水,および桂皮水の類を含む),ソーダ水,およびその他の炭酸含有飲料水並びに果実汁……を言う〉と規定され,以後この語が普及するようになった。ほぼ同義の語にソフトドリンクがあり,国際的にはこの語が用いられている。現在の日本での市販品を大別すると,炭酸飲料,果実飲料,乳性飲料になる。…
…植物の光合成に関する研究である。イギリス人牧師J.プリーストリー(1733‐1804)は,1770年代に植物は〈空気を純化する〉(O2発生)とし,オランダ人でオーストリア宮廷医師J.インゲンホウス(1730‐99)は植物のO2発生は緑色の葉,茎だけが行うことを明らかにした。スイス人牧師スヌビエJ.Senebier(1724‐1809)はO2が発生するにはCO2の存在が必要であるとし,スイス人ソシュールN.T.de Saussure(1767‐1845)は植物の緑色部分に光を照射すると,CO2とH2Oから有機物が合成されることを証明した。…
…その発端は1765年に締め金具の製造者ボールトンMatthew Boultonと医師E.ダーウィン(C.ダーウィンの祖父),教育者スモールWilliam Smallがアメリカ人フランクリンとともに催した月例談話会にある。これに陶器業者ウェッジウッド,蒸気機関の開発者ワット,化学工業の開拓者キアJames Keir,馬車の緩衝装置を発明したエッジワースRichard Edgeworth,それに気体化学の先駆者J.プリーストリーが加わり,相互啓発によって多数の新くふうや理論を生みだした。しかし彼らはフランス革命とアメリカ独立を支持し,奴隷解放を力説するなど,革新的政治姿勢を示したため,地元民の反発を買い,プリーストリー邸焼打ちなどの妨害を加えられ,19世紀初頭には自然消滅した。…
※「プリーストリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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