改訂新版 世界大百科事典 「プレスタージョン伝説」の意味・わかりやすい解説
プレスター・ジョン伝説 (プレスタージョンでんせつ)
プレスター・ジョンPrester John(ラテン語ではプレスビュテル・ヨハネスPresbyter Johannes)というキリスト教徒が,東方に王国を建てたという中世ヨーロッパに流布した伝説。12世紀にフライジングのオットーが著した年代記の1145年の条に,シリアのひとりの主教の報告に基づいて,ネストリウス派キリスト教徒でペルシア,アルメニア以東に大領土をもつこの王が,聖地エルサレム奪回のため西進し,エクバタナ(ハマダーン)を占領したが,目標を達することなく帰還したとあるのが,この伝説の初見である。そしてやがて同王の書簡の写しとされるものがヨーロッパに流布し,またその王の使節が到来したとの噂も流れた。十字軍遠征の成果があがらぬため,イスラム勢力に対抗する勢力の出現をヨーロッパ人が強く望んでいたこと,ケレイト部やモンゴル帝国皇室にネストリウス派キリスト教徒が実際にいたことなどが,ヨーロッパにこの伝説を流布させる要因となったのである。
こうして東方旅行をしたカトリック修道士や商人はプレスター・ジョンが何者かの探索に努め,カルピニは大インドの王,ルブルクはナイマン部のクチュルク,マルコ・ポーロはケレイト部のオン・ハンに当て,またチンギス・ハーンに当てる説もあらわれた。その後この王と王国の実在はカトリック修道士を中心に疑問視されるようになった。そして15~16世紀になると,今度は同じくキリスト教徒のいるエチオピアにプレスター・ジョンの存在を求めるようになり,ヨーロッパ人によるアフリカ探検の原動力となった。なお,エチオピアは〈プレスター・ジョンの国〉と雅称されることがある。
執筆者:吉田 順一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報