ヘラート(その他表記)Herāt

デジタル大辞泉 「ヘラート」の意味・読み・例文・類語

ヘラート(Herāt)

アフガニスタン北西部の商業都市。交通の要地にあり、アレクサンドロス大王が建設。15世紀にはチムール帝国の首都となった。

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精選版 日本国語大辞典 「ヘラート」の意味・読み・例文・類語

ヘラート

  1. ( Herāt ) アフガニスタン北西部の平野にある都市。アレクサンドロス大王が建設。インドイランを結ぶ交通の要地で、一五世紀にはチムール朝の都となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヘラート」の意味・わかりやすい解説

ヘラート
Herāt

アフガニスタン北西部の都市。人口34万9000(2002)。ハリー・ルード(ヘラート川)流域に位置し,古来,西アジア・ヨーロッパとインドおよび中国を結ぶシルクロード上の要地として栄えた。アレクサンドロス大王がこの地にアレクサンドレイア・アレイアAlexandreia hē en Areiois(〈アーリヤのアレクサンドレイア〉)を建設したと伝えられ,またアケメネス朝時代の古代ペルシア語碑文にも,すでにハライワHaraīvaとしてその名が見える。ササン朝,アラブ支配期,サーマーン朝時代にはホラーサーンの代表的都市の一つに数えられ,12世紀のゴール朝時代にはその首都として栄えた。13世紀,いったんモンゴル軍の攻撃を受けて破壊されたが,ただちに復興され,13~14世紀にはクルト朝の首都となり,特に15世紀にはサマルカンドと並ぶティムール朝の首都としてイスラム世界を代表する文化都市の一つとなり,アリー・シール・ナバーイージャーミーらの詩人,画家ビヒザードらの天才が輩出した。16~18世紀にはイラン,アフガニスタン両勢力の争奪の的となったが,19世紀になって最終的に後者の領有に帰した。現在,市内外には,15世紀の内城,墓廟,ミナレット,13~15世紀の中央モスクなど中世の史跡が数多く残され,〈アフガニスタンの京都〉的な雰囲気をかもし出している。また木綿,毛織物絹織物,小麦,米などの生産地としてアフガニスタン北西部の経済活動中心地となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘラート」の意味・わかりやすい解説

ヘラート
Herāt

アフガニスタン北西端部,ヘラート州州都セフィードクー山脈の南麓,標高 922mにあり,ハリルード川にのぞむ。肥沃な灌漑農業地帯で,有数の人口稠密地に位置し,幹線道路がカンダハール,マザーレシャリーフ両大都市と結ばれ,周辺諸都市ともハイウェー網で連絡するアフガニスタン北西部の経済的中心地である。市街の道路は広く,バザールは大きい。綿糸,織物,製粉などの軽工業があり,カラクル羊の毛皮の取引が盛んである。黒海方面からインド,ビルマにいたる唯一のヒンドゥークシ越え交通路の入口として,古くから重視され,ゾロアスター経典『アベスタ』に名がみえる。アレクサンドロス大王がインド遠征中に「アーリアのアレクサンドリア」を建設。前2世紀にパルティア (安息) 国,3世紀にはササン朝,10世紀にガズニー朝などに次々と支配されたが,1221年チンギス・ハン軍に完全に破壊され,住民は虐殺された。 15世紀にチムール朝の首都がおかれ,イスラム文化の重要な中心地となった。 1510年からサファビー朝の支配を受けたが,1716年住民は武器を取って町を解放し,パリ条約 (1857) でアフガニスタンへの帰属が確定。 15世紀の大モスク,色タイルで飾られたミナレットなどがあり,一帯には歴代の都市跡が残る。付近に空港と軍事基地がある。住民は主としてタジク人,トルクメン人,ウズベク人。人口 17万 7300 (1988推計) 。

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百科事典マイペディア 「ヘラート」の意味・わかりやすい解説

ヘラート

アフガニスタン北西部の都市。ハリー・ルード(ヘラート)川盆地にあり,イランやトルクメニスタン,ウズベキスタンへ通ずる要地。農産物集散地であり,伝統的な工芸織物は有名である。アレクサンドロス大王が,アレクサンドレイア・アレイアの名で建設したと言われ,ゴール朝,クルト朝の首都を経て15世紀にはサマルカンドとともにティムール朝の首都としてイスラム文化が大いに栄えた。19世紀以降,アフガニスタン領。城砦や寺院の遺跡が豊富である。39万5000人(2009)。
→関連項目イギリス・イラン戦争

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘラート」の意味・わかりやすい解説

ヘラート
へらーと
Herāt

アフガニスタン西部、ヘラート州の州都。ハリー川北岸の広い平野に位置する。人口約16万1700(2001推計)。同国西部の経済・文化の中心地で、製粉、搾油などの各種の食品加工工場があり、絹、綿、毛織物などの手工業が行われる。住民はタジク人が多数を占め、トルクメン人、ウズベク人もいる。彼らのペルシア語はイランのそれに近く、文化的にもイランと同質である。古来、山岳や砂漠などの障害なくイラン、トルキスタン、インドへ通じる交通の要地として栄え、アレクサンドロス大王はこの地に「アーリアのアレクサンドリア」を建設した。13世紀にチンギス・ハンの侵入を受けたがすぐに復興し、15世紀にはティームール朝のシャー・ルフによって都とされ、イスラム的、ペルシア的文化が栄えた。19世紀後半のロシア、イランとの国境画定後は、辺地の都市となり、発展は停止した。古城やモスクのほか、シャー・ルフと妻ガウハル・シャード、詩人ジャーミーの墓など多くの中世の史跡や、1863年にここを占領してまもなく死亡したバーラクザイ王朝の創始者ドースト・ムハンマド王の墓もある。

[勝藤 猛]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヘラート」の解説

ヘラート
Herāt

アフガニスタン西部の都市。15世紀にティムール帝国の首都となった。シャー・ルフやスルタン・フサインの時代に華麗な建物が建てられ,文化活動の一大中心地となった。その建物の多くは,1885年にイギリス軍によって破壊された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ヘラート」の解説

ヘラート
Herāt

アフガニスタン西部にある都市
古来東西交渉の要地として栄え,15世紀ティムール朝時代には,シャー=ルフによって都とされ,学芸の一大中心としてサマルカンドと並び称された。

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世界大百科事典(旧版)内のヘラートの言及

【ホラーサーン】より

…ホラーサーンは〈太陽khorの上る所〉を意味する。 かつてはマー・ワラー・アンナフル以南,アフガニスタンも含んでおり,メルブヘラート,バルフもホラーサーンの主要都市であった。遊牧民の南下の通路にあたり古来しばしばその侵入を被った。…

※「ヘラート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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