ヘロドトス(英語表記)Hērodotos

デジタル大辞泉 「ヘロドトス」の意味・読み・例文・類語

ヘロドトス(Hērodotos)

前5世紀の古代ギリシャの歴史家小アジアの生まれ。オリエントを広く旅行し、その見聞に基づき、ペルシア戦争中心にした「歴史」を著述、歴史の父とよばれる。ヘーロドトス。生没年未詳。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ヘロドトス」の意味・読み・例文・類語

ヘロドトス

  1. ( Herodotos ) 紀元前五世紀のギリシアの歴史家。その著「歴史」はペルシア戦争の歴史を軸に、東方諸国の歴史・風土・伝説、ギリシア諸ポリスの歴史を記したもので、物語的歴史の典型。「歴史の父」と呼ばれる。生没年未詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ヘロドトス」の意味・わかりやすい解説

ヘロドトス
Hērodotos

前5世紀のギリシアの歴史家。生没年不詳。キケロ以来〈歴史の父〉とよばれている。ハリカルナッソス名門に属するリュクセスの子。彼は若いころペルシアの後援で同市に独裁政(僭主政)を樹立せんとするリュグダミスとの抗争の渦中にあって敗れ,一家は一時サモス島に移ったらしい。前445年ころペリクレスが活躍するアテナイを訪れ,ペルシア戦争史の一こまを演説して人気を博し,アテナイは多額の金を贈って感謝したと伝えられる。前443年アテナイが南イタリアのトゥリオイ市を建設する際にそれに参加して同市の市民となり,前430年の少し後に没したらしい。彼はミレトスヘカタイオスのように直接の見聞を求めて東方世界を広く旅行した。その足跡は黒海北岸からフェニキア諸市やバビロンを経てエジプト,さらにナイル川をさかのぼってエレファンティネ,アフリカ北岸のキュレネに及んだ。そして各地の地誌,風土,風俗や歴史物語を,ペルシア戦争において頂点に達した東西抗争という巨大な物語の中に統一的に流しこみ,《歴史》として残したが,それは当時の世界史にほかならなかった。
執筆者: ヘロドトスの《歴史》には多くの地理的記述が見られる。とくに歴代ペルシア王の遠征地,例えば,キュロス2世のバビロンやマッサゲタイカンビュセス2世のエジプト(ナイル川の氾濫とその原因についての記述は有名),ダレイオス1世のスキュティア(スキタイ),リビアについて民俗誌や博物誌的記述を交えその地理を記している。彼は古代ギリシア最大の旅行家で,その記述はヘラクレスの柱(ジブラルタル)の外のタルテソスからインダス川に及んでいる。彼は前代の世界地図でオケアノス(大洋)が大地を円形に囲繞していること,カスピ海がオケアノスから湾入していること,またエジプトがナイル川によりアジアとリビアに二分されるという通説等を批判しているが,なお大地が平板状であると考えている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヘロドトス」の解説

ヘロドトス
Herodotos

前484頃~前425頃

ギリシアの歴史家で「歴史の父」と呼ばれる。アナトリアハリカルナッソスに生まれ,アテネその他を訪ね,またエジプト,メソポタミアを旅行し,南イタリアに移った。その著『ヒストリアイ』(正しくは「研究」の意,「歴史」と呼ばれることもある)はペルシア戦争の歴史であるが,多くの説話を伝承のままに織り込み,またみずからの見聞をまじえて,すこぶる興味ある読みものをなしており,「物語風の歴史」の典型である。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「ヘロドトス」の意味・わかりやすい解説

ヘロドトス

前5世紀中葉に活動した古代ギリシアの歴史家。生没年不詳。小アジアのハリカルナッソス出身で,南イタリアのギリシア植民市トゥリオイの市民と伝える。黒海北岸,エジプト,バビロンなどに及ぶ地域を旅行して見聞を広め,ペルシア戦争を頂点とする東西抗争の歴史=物語を《歴史》として記し,後世〈歴史の父〉と称される。
→関連項目エグゾティシズムギリシア語金石学

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ヘロドトス」の解説

ヘロドトス
Herodotos

前484ごろ〜前425ごろ
古代ギリシアの歴史家
小アジアのハリカルナッソスの名門の生まれ。政争により亡命し,のちアテネに移り,ペリクレス・ソフォクレスと交わったという。オリエントなどを広く旅行して得た豊かな見聞をもとに,ペルシア戦争を主題に,伝承や挿話を織りこんで『歴史』を書いた。これはオリエントの歴史や生活・風俗を知る貴重な史料であり,また物語風の歴史の典型とされ,「歴史の父」といわれる。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヘロドトスの言及

【アジア】より

…東の限界が,ペルシアまでかインドまでかは不明である。 ヘロドトス(前5世紀)にいたると,彼の旅行範囲が南北に広がったため,現在の北アフリカにあたる地域がアジアから区別されてリビアと呼ばれるようになった。彼の《歴史》がギリシアとペルシアの戦争を一つの主題としているため,彼がペルシア帝国の首都スーサ(カルフ川の貫通する盆地)を訪れなかったにもかかわらず,アジアは少なくともペルシアまでを含む。…

【海】より

…しかし,彼らは商船の運航ルートを秘密にしていたので,海図や文書が現存せず,ごく一部がギリシアに口伝えされたにすぎない。前5世紀のヘロドトスの著作には,早くも大西洋の名が姿を現し,ヨーロッパ,アジアの大陸もみられる。こういった交易によって,各地の産物,文明の交流が盛んになったが,海はその物資のルートに一役を買ったばかりでなく,精神文化,各人種間の交流ルートとしても,重要な役割を担うことになったのであった。…

【ギリシア文学】より

…散文体は前400年代前半にイオニアで発達しはじめたが,これは詩文体と異なり,事物を対象化し,これを分析・整理して記述するのに適している。イオニアでは散文体による地誌,旅行記,書簡文の類が生まれたが,歴史家ヘロドトスの出現とともに散文体文学は名実ともに一つの完成へと駆け上る。人間世界のできごとを収録し,その因果を究明するという壮大な知的展望のもとに繰り広げられる彼の《歴史》の文章は,その明快優美な流れのゆえに,ギリシア散文体文学の最高傑作の一つに数えられる。…

【スラブ人】より

…前1300‐前500年の中欧・東欧に見られる鉄器時代前期の〈ラウジッツ文化〉の担い手をスラブ人と考える説はすでに18世紀に提唱され,19世紀末から20世紀初頭にかけて再燃し,今日なおスラブ人考古学者のあいだでは有力であるが,推測の域を脱してはいない。 ギリシアの歴史家ヘロドトスは前5世紀の半ばに,ドニエプル川とブーグ川の上流域に住み,年に1度数日間オオカミに変身するというネウロイ人Neuroiのことを伝聞した。ネウロイ人は,その居住地(スラブ人の原郷に近い)や民俗(オオカミ祭祀)から,古代スラブ人の一種族と推定することも可能である。…

【ナイル[川]】より

…エジプトに統一国家が生まれたのは前3100年ころで,アスワンから地中海に至る1200kmの流域が文明の舞台として3000年間にわたって栄えた。前5世紀のギリシアの史家ヘロドトスは〈エジプトはナイル賜物(たまもの)〉と記した。後期のエジプト文明はアスワンより上流のヌビアにもひろがり,前7世紀成立のメロエ王国はエジプト的要素とアフリカ的要素を複合した独自の文化を築いた。…

【歴史】より


【ヨーロッパ】

[歴史叙述の発生]
 探究の対象として歴史を把握したギリシア人は,ヨーロッパ世界にあって初めて歴史書を残した。ヘロドトスは前5世紀のペルシア戦争を事件の経過に従って忠実に再現しようとしたが,その際にも,諸民族が置かれた地理的条件を考察するなど,探究の意志が働いている。トゥキュディデスは,ペロポネソス戦争を描いたが,歴史を動かす人間の資質に関心を寄せ,また歴史への探究によって,未来の行動への準則が学び取られると考えた。…

※「ヘロドトス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

大山のぶ代

1936- 昭和後期-平成時代の女優,声優。昭和11年10月16日生まれ。昭和32年俳優座養成所をでて,テレビ界にはいる。NHKの「ブーフーウー」で声優としてみとめられ,54年テレビアニメ「ドラえもん...

大山のぶ代の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android