ヘント(英語表記)Gent

デジタル大辞泉 「ヘント」の意味・読み・例文・類語

ヘント(Gent)

ベルギー北西部、東フランドル州の都市。フランス語名ガン。中世毛織物工業繁栄した商工業都市であり、鉄鋼・繊維工業が盛ん。園芸地帯を控え、花祭りが行われる。オランダ独立戦争初期の「ヘントの和約」の締結地。聖バーフ大聖堂など歴史的建物が多い。旧市街の繊維会館(ラーケンホール)と鐘楼が、1999年に「ベルギーとフランスの鐘楼群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録。また、13世紀創設のベギン会修道院があり、1998年に「フランドル地方のベギン会修道院群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。ゲント

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改訂新版 世界大百科事典 「ヘント」の意味・わかりやすい解説

ヘント
Gent

ベルギー北西部,東フランドル州の州都ワロン語(フランス語)ではガンGand,英語ではゲントGhent。人口23万0951(2005)。スヘルデ川とライエLeie川の合流点に位置。19世紀初頭以来ベルギー最大の綿工業都市であったが,第2次大戦後は北郊ヘント・テルネーゼン運河(長さ33km)沿いに大臨海工業地帯が造られ,製鉄,石油化学,自動車などの外国系企業が進出している。ヘントは同運河によって6.5万トン級の船が入港でき,アントワープに次ぐベルギー第2の港でもある。また,フラマン語圏の文化的中心地で,国立ヘント大学(1817設立。学生数1万2000)や工業・商業大学,フランドルやオランダの名画を集めた美術館,フランドル文芸アカデミーなどがある。花卉栽培も行われる。中世にはブリュージュと並ぶ商業および毛織物工業の中心地で,その繁栄は市中央の市庁舎や毛織物検査場(鐘楼),ギルド会館,ファン・アイク兄弟祭壇画《神秘の小羊》で有名なサン・バボン(シント・バーフ)大聖堂からしのぶことができる。10~12世紀にフランドル伯居城が築かれ,ここでカール5世(スペイン国王カルロス1世)が生まれた。オランダ独立戦争中の1576年,スペインとの一時的休戦条約〈ヘントの和平〉が結ばれた地としても知られる。
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百科事典マイペディア 「ヘント」の意味・わかりやすい解説

ヘント

ベルギー北西部,東フランドル州の州都。フランス語ではガンGant,英語ではゲントGhent。スヘルデ川とリース川の合流点にあり,繊維,金属,電機などの工業が行われる。大学(1817年創立)やファン・アイク兄弟の祭壇画《神秘の小羊》で知られるサン・バボン大聖堂などがある。7世紀から知られ,12世紀後半に自治都市となり,14世紀末までブリュージュとともに毛織物の生産・取引の中心として栄えた。24万8242人(2012)。
→関連項目フランドル

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヘント」の解説

ヘント
Gent[オランダ],Gand[フランス],Ghent[英]

ベルギー,フランデレン地方の主要都市。中世にはブリュッヘとともに毛織物の生産,取引によって栄えた。市民の自治意識が強く,封建諸侯に対する反乱の中心になったが,15世紀以降しだいに衰退した。

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世界大百科事典(旧版)内のヘントの言及

【フランドル】より

…しかし,中世初期にはフランク王国の北西端を占め,その中核地帯には属していなかった。バイキングの侵攻からかなりの被害を受けたフランドルは,王権に代わってブリュージュヘントに城塞を築いた有力領主のもとで,地域的結集の方向をとる。初代フランドル伯とされる9世紀末のボードゥアンBaudouin1世(鉄腕伯)から11世紀中葉までは,なお離合集散が激しかったが,12~13世紀には,地域開発政策と十字軍での活躍で著名なアルザス家のティエリーThierryやフィリップPhilippeのような名君のもとで,当時のヨーロッパで最も中央集権的な領邦を形成した。…

※「ヘント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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