精選版 日本国語大辞典 「ベルディ」の意味・読み・例文・類語
ベルディ
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イタリアの作曲家。10月10日ブッセートに生まれる。教会で音楽の基礎知識を習得、才能に注目したブッセート音楽院長プロベーシや経済的支援者の助けで研鑽(けんさん)を重ねた。1832年ミラノ音楽院に入学しようと試みるが失敗、スカラ座付きの音楽家に個人教授を受ける。36年、師プロベーシが占めていたブッセートの聖バルトロメオ教会楽長の後任者に任命された。ベルディは、ブッセートの音楽生活を豊かにするため、交響曲、ミサ曲、歌曲などを作曲、また音楽教師としても活動した。
しかし、ベルディはミラノ時代からオペラに魅了され、オペラの作曲に情熱を傾けるようになっていた。ミラノにおける勉学時代の1834年、最初のオペラ『オベルト』を完成、39年になってスカラ座で初演され、成功を収めた。翌40年に初演された喜劇的内容の『一日だけの王様』は失敗に終わり、失意に陥ったベルディは、一時はオペラ作曲を断念しようとも考えた。しかし、スカラ座支配人メレッリは彼に、ニコライに作曲を依頼したものの実質的には放置されたままになっていた台本『ナブッコ』を渡し、作曲を促した。台本の内容に共感したベルディは作曲に集中、42年にスカラ座で『ナブッコ』は初演された。上演は大成功となり、とくにユダヤ人たちが歌う「行け、思いよ、黄金の翼にのって」は、当時のイタリアの祖国統一運動(リソルジメント)のなかで、第二の国歌のように広く歌われた。『ナブッコ』の成功は、彼をオペラ作曲家としてばかりでなくイタリアの愛国心の象徴にまでした。
1844年にベネチアのフェニーチェ劇場の依頼で作曲した『エルナニ』を皮切りに、ベルディはイタリア各地の歌劇場のために次々に新作を発表したが、多作のため真に革新的な要素は欠けた作品が多くなった。47年発表の『マクベス』は、彼が傾倒していたシェークスピアによる最初の作品であるとともに、ベルディが憎悪・夢想といった人間感情の深部の積極的表現に新しい領域を開いた作品と位置づけられる。この作品によって、ベッリーニなどのベルカント・オペラが主流であったイタリア・オペラは、より劇的な統一性、心理的な表現をとる方向へと変わっていった。
いくつかの作品ののち、1851年から53年にかけて、ベルディは『リゴレット』『トロバトーレ』『トラビアータ(椿姫(つばきひめ))』というそれぞれ性格の異なる三つの傑作を相次いで発表した。『リゴレット』における心理・性格の描写、鋭い劇的表現、『トロバトーレ』における旋律美の追究、『トラビアータ』の叙情性の探究と、方向こそ異なるが表現の円熟、書法の完成度は一段と高まり、それとともに、声は、歌手の技巧の表現としてではなく、いっそうドラマに結び付いた表現の道具として用いられるようになった。
次作『シチリア島の夕べの祈り』(1855)は、フランスのグランド・オペラの様式による作品である。1859年に初演された『仮面舞踏会』は、ナポリのサン・カルロ劇場の依頼によるものだが、ナポリ王国はオペラ化を認めず、作曲者は物語の舞台と人物名を変更して発表した。この作品は、サルデーニャ国王ビットリオ・エマヌエレ2世がイタリア統一を目ざしてオーストリアに戦いを挑もうとしていた時代情勢のなかで、『ナブッコ』同様愛国心を鼓舞する役割を果たした。ベルディは『仮面舞踏会』初演の59年に結婚式をあげ、61年には国会の下院議員に選任された。名声の高まった彼のもとには諸外国からも作曲の依頼が相次いだ。『運命の力』(1862)はロシアのペテルブルグ帝室歌劇場、シラーの戯曲(1787)による『ドン・カルロ』(1867)はパリ・オペラ座の依嘱作であった。また次の『アイーダ』(1871)は、スエズ運河開通記念にカイロに建てられた歌劇場の杮落(こけらおと)しのために依頼された作品である。これらの作品では、壮麗な規模、見せ場と、劇的な緊張が両立されている。『アイーダ』以後ベルディは、オペラ作曲から16年間にもわたり離れた。この間、彼はアリゴ・ボイートの助けを受けつつ旧作の改訂を行い、そして数年間にわたりさまざまな推敲(すいこう)を重ねた次作『オテロ』(1887)を発表した。ふたたびシェークスピアに基づくこの作品では、声と管弦楽が一体となった表現がいっそう追究され、歌ごとの区分やアリアとレチタティーボの区分などは廃されている。最後の作品『ファルスタッフ』(1893)もシェークスピアを原作とするオペラで、喜劇的性格が強い。これ以後ベルディは劇場のためには作曲せず、『聖歌四篇(へん)』などの宗教的作品を作曲し、1901年1月27日ミラノに没した。彼はオペラの成功で得た資産を音楽のために投じた。その一つである老いた音楽家のための施設「憩いの家」(ミラノ)は、ドキュメンタリー映画『トスカの接吻(せっぷん)』Il bacio di Tosca(1984)で紹介されている。
ベルディは、イタリア・オペラの歴史のなかでは、19世紀前半のベルカント・オペラと、19世紀末からのベリズモ・オペラを結ぶ時代に、ほとんど唯一の個性的オペラ作曲家として活躍した。その生涯はほぼワーグナーと重なっている。両者はともに音楽と劇との一体化を極限まで探究したが、その方法はまったく異なり、両者間の交流や直接的影響関係はなかった。1980年代以降は『リゴレット』以前の初期の作品も注目され、その上演も多くなり、さらに異稿(初版と改訂版)の比較研究も進展した。2001年には没後100周年を迎え、各地で記念行事が行われた。
[美山良夫]
『福原信夫著『ヴェルディ』(1966・音楽之友社)』▽『プティ著、高崎保男訳『ヴェルディ』(1970・白水社)』▽『D・ハッセー著、永竹由幸訳『ヴェルディ』(1974・音楽之友社)』▽『G・タロッツィ著、小畑恒夫訳『評伝ヴェルディ』上下(1992・草思社)』▽『ハンス・キューナー著、岩下久美子訳『ヴェルディ』(1994・音楽之友社)』▽『音楽之友社編・刊『作曲家別名曲解説ライブラリー24 ヴェルディ・プッチーニ』(1995)』▽『福尾芳昭著『二百年の師弟――ヴェルディとシェイクスピア』(1999・音楽之友社)』▽『レオネッタ・ベンテヴォリオ編著、白崎容子訳『わたしのヴェルディ――16人のアーティストが語る12の傑作オペラ』(2001・音楽之友社)』▽『アルド・オーベルドルフェル編著、松本康子訳『ヴェルディ――書簡による自伝』(2001・カワイ出版)』▽『加藤浩子著『黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ』(2002・東京書籍)』▽『永竹由幸著『ヴェルディのオペラ――全作品の魅力を探る』(2002・音楽之友社)』
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…(1)ロッシーニがベリオ伯の台本に作曲,1816年12月4日ナポリのフォンド劇場で初演した3幕のオペラ。全曲を通じて舞台はベネチアで進行,シェークスピアやベルディの作品にみられるキプロスやハンカチーフの場面は現れない。喜歌劇にすぐれた作品を多く残したロッシーニの,シリアスな面を代表する傑作として音楽的にも高い評価を受け,一時期愛好されたが,ベルディの作品が現れるに及んで,その地位を譲った。…
…現存する最古のオペラであるJ.ペーリの《エウリディーチェ》をはじめ,かつては王朝同士の華やかな結婚の祝典にオペラはつきものであった。19世紀に入ると,民族主義的な独立運動や社会主義的革命の機運に火を投じるという理由でオペラの上演は折にふれて危険視され,みずから祖国の独立運動に参加したベルディのオペラは,しばしば検閲の対象となった。20世紀ではワーグナーのオペラがヒトラーの率いるナチスによって反ユダヤ主義に利用されたり,ショスタコービチの名作《ムツェンスクのマクベス夫人》が,ソ連の社会主義リアリズム路線の批判の対象となるなど,多くの事例を挙げることができる。…
…ユゴーの《東方詩集Orientales》(1829),ラマルティーヌの《東方紀行》(1835)などがロマン主義文学者による代表例である。音楽では,モーツァルトの《後宮よりの誘拐》(1782)のトルコ趣味が早い例で,後にはベルディの《アイーダ》(1871初演)のような,エジプト風俗に関してかなり歴史的考証を経たものも見られる。美術の分野では,ロマン主義の代表者ドラクロアの《アルジェの女たち》(1834),《ミソロンギの廃墟に立つギリシア》(1826)などが東方への熱い思いを伝えるが,アングルのような新古典主義の画家による《グランド・オダリスク》(1814)など,ロマン主義に限らず幅広い層の関心をあつめた。…
…薄幸な一人の娼婦を通して一種の社会批判をも盛り込んでおり,当時名優とうたわれたサラ・ベルナールらによる上演は観客を魅了した。 パリで舞台上演に接してこの作品に共感を抱いたイタリアの作曲家ベルディは,ピアーベFrancesco Mario Piave(1810‐76)の台本により《ラ・トラビアータLa traviata(道を踏みはずした女)》の題名で3幕4場のオペラを作曲,53年3月6日ベネチアのラ・フェニーチェ歌劇場で初演。内容のロマンティシズムとそれを助長する感傷的な旋律の美しさから,悲恋物語として愛好され,ベルディの中期の傑作の一つとなっている。…
…ベルディのオペラ作品の一つ。前奏曲と3幕4場からなる。…
※「ベルディ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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