ペイシストラトス(読み)ぺいしすとらとす(英語表記)Peisistratos

デジタル大辞泉 「ペイシストラトス」の意味・読み・例文・類語

ペイシストラトス(Peisistratos)

[?~前527]古代ギリシャ、アテネ僭主せんしゅ。二度追放されたが、復帰して政権を回復。小農民の保護、農業の奨励、商工業の発展に努め、都市国家アテネ繁栄の基礎を築いた。

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精選版 日本国語大辞典 「ペイシストラトス」の意味・読み・例文・類語

ペイシストラトス

  1. ( Peisistratos ) 古代ギリシア、アテナイの僭主。紀元前五六一年アテナイを占領して、僭主制確立。農業を奨励して小農民を保護し、商工業の発展に努めてアテナイの都市国家としての実力と地位を高めた。(前六〇〇頃‐前五二七

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改訂新版 世界大百科事典 「ペイシストラトス」の意味・わかりやすい解説

ペイシストラトス
Peisistratos
生没年:前600ころ-前528か527

前6世紀アテナイの僭主。初期僭主のうち最も史実の明らかな人物。ピュロスのネレイダイの子孫,前669か668年のアルコン,ペイシストラトスの孫といわれ,ヒッポクラテスとソロンの母の親類との子。貴族名門の出であるがソロンの改革後の三党対立抗争の時は,〈山地党〉の首領として貧農や牧人をひきい,前565年ごろ隣国メガラとの戦いで名をあげ,前561年護衛兵をひきいてアクロポリスを占領し,僭主政を樹立した。反対派メガクレス(海岸党)とリュクルゴス(平地党)は,結束して5年後には彼を追い出したが,メガクレスは自分の娘を彼がめとることを条件に和解し,彼の僭主政復活に力を貸した。しかしペイシストラトスとメガクレスの協力関係は間もなく破れ,ペイシストラトスはトラキア方面に亡命し,パンガイオン金山付近で資金をたくわえ傭兵をやとい,エレトリア,テーバイアルゴスナクソスの僭主リュグダミスの援助を得て前546年ごろマラトンに上陸し,さらにパレネの戦で政敵を破り,アテナイ市を占領して一人支配者となった。それから彼の死に至るまでの政治は,国制を変えることなく,ただ自分の一族が重要な役職につくようにして支配した。

 彼の僭主政樹立の成功の基礎は商工業者の台頭にあったとする説もあるように,彼の時代にアッティカ黒絵の壺の製造がギリシアで1位を占め,またアテナイ固有の貨幣の鋳造がはじまり,さらに前530年ごろには華麗なアッティカ赤絵の製陶技術が開発されたことは事実である。しかし彼の勧農政策から見ると,支配の基盤は中小土地所有農民にあったと考えられる。彼はまた収穫の10分の1(または20分の1)を直接税として取り立てたから,勧農は同時に彼の収入源の確保につながった。〈村の裁判官〉を任じて巡回裁判をさせるとともに自らも田園を視察して農民間の争いを和解させ,彼の政治は後世〈クロノスの時代〉として善政をうたわれた。アテナイの国力はこの時代に急に強大となった。なお,このペイシストラトスの孫で,前512か511年アルコンとなった同名の人物も知られている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペイシストラトス」の意味・わかりやすい解説

ペイシストラトス
Peisistratos

[生]前600
[没]前527頃
古代ギリシア,アテネの僭主 (在位前 561/0~527頃) 。ソロンの血縁。前 565年頃ポレマルコス (軍事指揮官) としてメガラとの戦争で活躍し名声を揚げた。ソロンの改革後の混乱したアテネで,出身地アッチカ北東部を中心に中小農民や貧民から成る山地党をつくり,前 561/0年それを率いて僭主となった。その後,反対派の貴族のため2度追放されたが,トラキアのパンガイオン銀山で富を得,テーベ,アルゴスなどと同盟し,エレトリアを足掛りとして前 546年マラトン近くのパルレニスの戦いで反対派の貴族を倒し,僭主政を確立した。彼はソロンの国制は存続させたが,自分の一族を重要な役職につけ,民衆から武器を取上げ,地位の安定をはかった。しかし穏和で民主的な態度を貫き,勧農,小農民保護策をとったので,彼の支配下で農業はもちろん手工業も発展した。宗教面では,エレウシスの秘儀の国家管理を目指し,パルテノン神殿などの建設に着手し,宗教を介して国家統一を推進。アテネはギリシア世界での優位を確立した。彼の時代はのちに「クロノスの時代」,すなわち黄金時代と回顧された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペイシストラトス」の意味・わかりやすい解説

ペイシストラトス
ぺいしすとらとす
Peisistratos
(前600ころ―前527)

古代ギリシアのアテネの僭主(せんしゅ)。伝説上のピロスの王家であるネレウス家の出と称し、母方でソロンと血縁があった。紀元前565年ごろのメガラとの戦いで名声をあげ、党争のなかで平民などに支持されて第三の党派「山地党」を組織し、前561年にアクロポリスを占領して僭主となった。その後2度追放されたが、前546年に3度僭主の地位を獲得し、前527年に病死するまでそれを保持した。彼は、重要な官職を一族に与えたが、形式上はソロンの国制を存続させ、反対派貴族の多くの者にもアッティカにとどまることを許した。傭兵(ようへい)の護衛兵を備え、市民の武器を取り上げ、農産物に対して十分の一税を課したりはしたが、農業を奨励して中小農民を保護し、商工業の発展に努め、活発な公共建築活動を行い、また神々の祭りを盛んにして、後世「クロノスの世(黄金時代)」とたたえられる繁栄をアテネにもたらした。彼の死後は長子ヒッピアスが後を継いだ。

[清永昭次]

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百科事典マイペディア 「ペイシストラトス」の意味・わかりやすい解説

ペイシストラトス

古代ギリシア,アテナイ(アテネ)の政治家。前561年ソロンの改革後の混乱期に僭主となった。ソロンの政策を受け継ぎ,ただし一族で要職を独占して支配した。彼の時代には商工業者も台頭,また勧農策により小農民を保護し,アテナイ発展の基をつくった。
→関連項目アテネ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ペイシストラトス」の解説

ペイシストラトス
Peisistratos

?~前527

アテネ僭主(せんしゅ)で,古い僭主のなかで伝記と個性の最もよくわかる人物。名門に生まれ,メガラとの戦いに功を立て,前561年貧民を味方にして僭主となる。反対派の貴族のため2度亡命を余儀なくされたが,武力により3度僭主の地位につき,その僭主政治は彼の子の代まで続いた。市民に地租を課したが,小農民の育成に努め,暴君的なところはなかったという。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ペイシストラトス」の解説

ペイシストラトス
Peisistratos

前600ごろ〜前527
古代ギリシアのアテネの僭主
貴族の出身。ソロンの改革後の貴族・平民の党争では,民主政を求める山地党の指導者。前561年ごろ貴族をおさえて僭主となり,一時失脚したが,再びアテネの政権を握った。小農民の保護,商工業の振興につとめ,アテネの発展に尽くした。

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世界大百科事典(旧版)内のペイシストラトスの言及

【アテネ】より

… ソロンの改革は貴族と平民とを共に満足させるにいたらず,その後もアテナイでは三つの党派による苛烈な党争が展開されるが,それはしかし貴族政から民主政への着実な前進の過程であった。その第1の節目は,山地党の領袖ペイシストラトスによる僭主政の樹立である。前6世紀中葉,再度にわたる追放にも屈せず僭主としての地位を確立したペイシストラトスは,貴族の共同支配を否定し,一般市民に対しても武器の取上げを図るなど,非合法的な独裁者としての側面を示す一方,中小農民の保護育成に努め,国家の祭祀を盛んにし,また中心市アテナイの整備に尽力するなど,その治績は大いにあがった。…

【ギリシア】より

…このためアテナイの政情は再び党争と混乱に陥り,アルコンを選出できない状態さえ生じた。 こうした状況の中で,平地党(大土地所有貴族を支持基盤とする)と海岸党(中流市民を支持基盤とし中道政治を主張する)と山地党(貧窮市民を支持基盤とし最も民主的と思われた)の争いが生じ,山地党を率いたペイシストラトスがアクロポリスを占領して僭主政を樹立した(前561)。僭主政は党争の中で動揺したが,ともかくもペイシストラトスの時代には善政をうたわれた。…

【僭主】より

…さらに詩人や芸術家を集めて,彼らの支配に輝きを添えた。そしてアテナイのペイシストラトスなどのように民衆の人気を得るためディオニュソス信仰を奨励する僭主もいた。しかし,彼らは一方で官職を一味のもので独占したり,田園の農民が中心市に移り住むのを抑えたり,また市民から武器を取り上げて傭兵を雇ったりした。…

【ソロン】より

…ソロンはアルコンと調停者の任期を終えてから旅に出,エジプト,キプロス島などを歴訪した。党争を続ける祖国に戻ったのち,血縁関係にあるペイシストラトスが僭主政の樹立を狙っていることを見抜いて市民に警告したが,むなしかった。一説にキプロス島で死んだという。…

※「ペイシストラトス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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