中米地峡(南北アメリカ大陸をつなぐ紐(ひも)状の細長い地域)の中央に位置する共和国。正式名称はホンジュラス共和国República de Honduras。北部はカリブ海に面し、北西部はグアテマラ、南西部はエルサルバドル、南東部はココ川を境にニカラグアと国境を接し、南端のフォンセカ湾で太平洋に臨む。面積11万2492平方キロメートルの国土に、人口736万7000(2006年推計)、790万(2012年推計)が住む。首都テグシガルパの人口は100万(2010年推計)。そのほか出稼ぎ労働者として約100万人がアメリカに在住している。
[国本伊代]
中央山脈が北西から南西方向に貫いているほか、北部にエスペランサ山脈が内陸部からカリブ海に向けて走っているため、国土の約80%が山岳・高原地帯で、標高600~1500メートルの高原盆地が点在する。しかし中米地峡の太平洋岸に沿って縦断する環太平洋火山帯に属していないため、中米地峡では地震の少ない国である。首都テグシガルパが位置する中央部から南部にかけて広がる標高800~900メートルの高原地帯は、狭隘(きょうあい)な渓谷で寸断されているため、点在する盆地で小規模な農牧畜業が営まれている。経済活動の中心である北部平野に位置するサン・ペドロ・スーラは、「バナナ帝国」とよばれる世界的なバナナ生産地帯の中心であると同時にこの国最大の商工業都市である。そのほかのおもな低地に、太平洋側のフォンセカ湾岸低地、カリブ海沿岸のスーラ平野とモスキトス平野がある。気候は乾季(12~4月)と雨季(5~11月)に分かれ、気温は乾季に上昇する。海岸低地は高温多湿の熱帯性気候のため最高気温が40℃に達するが、高原地帯は比較的過ごしやすい。年間降水量はカリブ海沿岸低地で2400~3000ミリメートル、その他の地域では1000~2000ミリメートルである。カリブ海沿岸は8~10月のハリケーン・シーズンに熱帯低気圧や大型ハリケーンにしばしば襲われ、大きな被害を受ける。1974年のハリケーン・フィフィと1998年の大型ハリケーン・ミッチの上陸では、数千人の死者を出し、甚大な被害を受けた。
[国本伊代]
スペイン人による植民が始まる以前の紀元後300~900年にかけて、北西部コマヤグア高原地方にマヤ帝国の古典期文明が開花し、コパン遺跡はその中心であった。1502年、コロンブスが第4回航海でコロン地方(モスキトス海岸)に上陸し、近海が深いことからこの地を「深み」を意味するホンジュラスと名づけたのが国名の由来とされている。スペインの征服に対して各地で先住民の反乱が続き、とくに先住民族レンカのカシケ(首長)のレンピーラLempiraが主導した大反乱が起こったが、鎮圧された(1536)。レンピーラは現在でも国民的英雄としてホンジュラスの通貨単位にその名を残している。1539年にグアテマラ総督領に編入され、1589年にテグシガルパ付近で金銀鉱山が発見されてから、スペインの植民地としての開発が本格化した。
1821年のグアテマラ総督領の独立に際し、その一部としてスペインから独立したが、1822年イツルビデのメキシコ帝国に他の中央アメリカ諸国とともに併合された。1824年に同帝国が崩壊したのち、それらの諸国とともに中米連邦共和国を結成したが、これも内部紛争で解体した。1838年に完全分離独立を達成した。
独立後は内政不安と周辺諸国との国境紛争で不安定な時期が続き政権交代を繰り返したが、1933年に将軍カリアスTiburcio Carías Andino(1876―1969)がクーデターで実権を掌握してから17年間にわたる独裁政権下で政局は安定した。この間の1930年代にアメリカのユナイテッド・フルーツ社(1990年に社名をチキータ・ブランズ・インターナショナルに変更)の進出により、カリブ海沿岸低地は一大バナナ栽培地帯に変容した。しかし、バナナ輸出のための鉄道や港湾の整備など経済開発は促進されたものの、経済的にも政治的にもアメリカへの従属性を増大させる結果となった。
1949年にカリアスが政権の座を退いてからは政局が安定せず、1956年、1963年、1972年と、軍部によるクーデターが発生した。制度的には民主代議制をとっているにもかかわらず、その基盤が脆弱(ぜいじゃく)で、政治的・社会的不安の増大のたびに軍部の干渉を招いた。しかし、1972年以降の軍事政権下では、農地改革、バナナ輸出税の導入、アメリカ系バナナ会社に与えられていた特権の廃止などが実施され、社会・経済開発が取り組まれた。1980年に制憲議会議員選挙が実施され、その結果に基づき1982年1月に新憲法が公布され、民政移管が実現した。
民政移管後は自由党(PL:Partido Liberal)と国民党(PN:Partido Nacional)が交代で政権を担うという親米二大政党政治が定着していたが、2005年の選挙で大統領に選出された自由党のセラヤJosé Manuel Zelaya Rosales(1952― )は、対米重視路線を踏襲しながらも、ラテンアメリカ諸国に台頭してきた左派政権との関係を強め、キューバ問題、移民問題、麻薬問題などで反米的姿勢を強め、国内政治では労働者や貧困層への支援政策を打ち出し、終身大統領への道を開くための憲法改正を目ざした国民投票を計画した。しかし、2009年6月、予定された国民投票日に「国民投票は違憲である」と主張する最高裁判所の大統領逮捕令に基づき軍部がクーデターを起こし、大統領のセラヤは官邸で拘束され、国外へ追放された。暫定大統領となった国会議長のミチェレッティRoberto Micheletti(1943― )が2010年1月まで政権を担当した。この間、前大統領セラヤは帰国を強行してテグシガルパのブラジル大使館内に保護されるという状況が続いた。また2009年11月に実施された大統領選挙ではセラヤ政権の左傾化に反対してきた議会および富裕層が支持する国民党のロボ・ソーサPorfirio Lobo Sosa(1947― )が選出されたが、アメリカとラテンアメリカ諸国はこの選挙結果をめぐって二分し、セラヤの大統領復帰を要求する国内外の世論のなかで、2010年1月ロボ・ソーサの大統領就任式が行われるなど、困難な新政権の出発となった。
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三権分立による立憲共和制をとり、現行の憲法は1982年に制定されたものである。国家元首である大統領は18歳以上の国民の直接投票によって選出され、任期は4年で、再選は絶対禁止となっている。一院制の議会は、18の県から選出される128名の議員で構成されている。任期は4年。1982年の民政移管後の政治は、いずれも中道の自由党と国民党が政権を担当して二大政党制が定着しているが、そのほかにキリスト教民主党(PDC:Partido Demócrata Cristiano)などの小党が存在する。
外交面では、中米諸国のなかで長期にわたってもっとも親米的路線を継続し、また中米統合機構(SICA)、米州機構(OAS)を通じた中南米諸国との関係を重視している。1969年エルサルバドルとの間に勃発(ぼっぱつ)した五日戦争(サッカー戦争)後、同国と国交を断絶して1970年末に中米共同市場(CACM)から脱退したが、ペルーの仲介により国境問題を除いた平和協定を1980年にエルサルバドルと結んだ。また、1992年には国際司法裁判所が示した国境線の画定案にエルサルバドルとともに同意した。ニカラグアとの関係では、ニカラグアの内戦時代にココ川国境付近がニカラグアの反政府右派ゲリラの活動の基地となったことから、ニカラグア政府軍の掃討作戦に巻き込まれた。アメリカとの間に軍事援助条約があるほか、2006年に発効した中米・カリブ諸国とアメリカとの間の自由貿易協定(FTA)に参加している。
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1960年代と1970年代に輸入代替工業化(製品輸入から国内製品への代替化)政策と伝統産品の輸出の伸びによって順調な成長を続けた経済は、1980年代の近隣諸国の内戦の影響を受けて深刻な不況に陥った。その後、内戦終結後の1990年代なかばからは1976年に設置されたカリブ海沿岸のプエルト・コルテス保税加工地区への外国資本の進出が戻り、コーヒー、バナナ、砂糖、エビに代表される伝統的輸出産品に加えて新たな産業部門が経済構造を変えつつある。しかし、伝統的輸出産品を中心とする農業が依然として労働人口の約半分を吸収している一方で、その国内総生産額に占める割合は12.5%(2009)である。バナナの主要生産地帯は北部海岸地方で、1930年代にアメリカ系企業によって輸出産業として開発され、アメリカ系企業(チキータ社とスタンダード社)が現在でも二大生産者となっている。このバナナ産業に対してコーヒー産業は1970年代から成長し、中央部の高原地帯で生産されている。
高原地帯、とくにコマヤグア高原南部では牧畜が盛んで、国内需要を満たすだけではなく、牛肉がアメリカやメキシコに輸出されている。また、山岳・高原盆地が国土の約80%を占めるこの国は銅、亜鉛、アンチモニー、金、銀、鉛などの鉱物資源にも恵まれているが、採算が取りにくく、主要な経済活動とはならなかった。しかし亜鉛は2012年時点ではエビに次ぐ第4位の輸出産品となっている。林業は従来ほど重要ではないが、国土の4分の3を占める森林地帯をもつこの国の伝統的な輸出産業でもある。高級木材のマホガニーはすでに枯渇しているが、マツ類が輸出されている。工業は食品、飲料品、繊維を中心とする消費材製造業が発達し、北部カリブ海地方のサン・ペドロ・スーラ周辺の保税加工地区に韓国や台湾を含めたアジア諸国からの進出もあり、近代的な工業部門が発達しつつある。通貨はレンピーラ(HNL)。
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国民の約90%は先住民とヨーロッパ系白人の混血であるメスティソからなり、先住民人口は総人口の4%前後(約30万)で、七つの公認された民族集団が存在する。残りはアフリカ系住民とヨーロッパ系住民が占める。総人口に占める割合が少ない先住民集団であるが、その存在感は大きい。最大の人口規模を有するのはスペイン人征服者と勇敢に戦った伝説の国民的英雄レンピーラを生んだ民族レンカで、約10万の人口を有する。二番目に大きい人口規模をもつガリフナと三番目に大きいミスキトは他の四つのマヤ系先住民とは異なり、アフリカ系黒人と先住民の混血人種である。アフリカ系ホンジュラス人の多くは西インド諸島から移住した人々の子孫で、彼らの間では公用語のスペイン語のほかに、英語、ミスキト語、ガリフナ語なども話されている。国民の大部分はカトリック信者であるが、近年プロテスタントの進出が著しい。
義務教育は小学校6年間のみで、15歳以上の人口の識字率は81.5%(2010)、教育水準の向上が重要な課題となっている。1人当り国民総所得(GNI)は3443ドル(2010)で、経済・社会指標では中南米諸国のなかでもっとも貧しい国の一つである。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に、「コパンのマヤ遺跡」(1980年登録、文化遺産)、「リオ・プラタノ生物圏保存地域」(1982年登録、自然遺産。1996~2007年および2011年に危機遺産リスト入り)が登録されている。
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1935年(昭和10)に外交関係を樹立し、第二次世界大戦で中断したが、1953年(昭和28)の平和条約の批准をもって再開した。その後、相互に大使館を置いている。ホンジュラスは、多くの問題を抱える開発途上国として先進諸国からさまざまな分野で援助を受けているが、そのなかで日本は主要な援助国の一つである。しかし、日本との貿易は輸出入とも重要度の高いアメリカに比べると、その10分の1ほどの規模でしかない。
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『細野昭雄・遅野井茂雄・田中高著『中米・カリブ危機の構図』(1987・有斐閣)』▽『加茂雄三・細野昭雄・原田金一郎著『転換期の中米地域』(1990・大村書店)』▽『石井章編『冷戦後の中米――紛争から平和へ』(1996・アジア経済研究所)』▽『増田義郎・山田睦男編『ラテン・アメリカ史Ⅰ――メキシコ・中央アメリカ・カリブ海』(1999・山川出版社)』▽『田中高編著『エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアを知るための45章』(2004・明石書店)』
基本情報
正式名称=ホンジュラス共和国República de Honduras/Republic of Honduras
面積=11万2492km2
人口(2010)=805万人
首都=テグシガルパTegucigalpa(日本との時差=-15時間)
主要言語=スペイン語(公用語)
通貨=レンピラLempira
中央アメリカ中部にある共和国で,北部はカリブ海に,南部ではフォンセカ湾で太平洋に面しており,西でグアテマラ,南西でエルサルバドル,南東でニカラグアと国境を接している。国名はスペイン語の〈深みhondura〉に由来するといわれている。
国土の多くは山地で,太平洋岸に沿って東西に2000m級の山を含む主山脈が走り,さらにいくつもの山脈が加わって高地をつくっている。平野部は国土面積の約20%を占め,狭い北部海岸地帯と,南部のフォンセカ湾周辺に集中している。これら平野部には,カリブ海に注ぐウルア,アグアン等の,またフォンセカ湾に至るチョルテカ等の河川がある。カリブ海沿いにとくに沼沢や潟湖が多く,最大のカラタスカ湖もそこに含まれる。カリブ沖にはロアタン島をはじめとするバイア諸島がある。熱帯気候に属するため高温多湿であるが,標高によって気温等にかなりの変化がみられる。高地では気温の年較差が大きい。カリブ海側低地は高温で一年中降水量も多く,熱帯雨林が発達している。中部の山地に人口や経済活動の多くが集中しており,太平洋岸と同じく12~4月に乾季が訪れる。人口の約90%は白人と先住民との混血(メスティソ)であり,ホンジュラス社会の中核をなしている。ほかにグアテマラ近くと北東部にマヤ系やミスキート等の先住民がおり,カリブ海側にはバナナ農園全盛期にジャマイカから移ってきた黒人が少数いる。白人は全人口の1%ほどにすぎない。公用語はスペイン語。住民の大多数はローマ・カトリック教徒である。教育は小学校(6年制)が義務化されているが,中等教育への進学率は低く,識字率は72%余(1995)。首都テグシガルパには国立自治大学(1847設立)がある。医療や社会福祉はまだ低水準にとどまっている。
ホンジュラスは1982年憲法によって三権分立の共和国と定められている。大統領は直接選挙で選ばれ,任期4年(再選禁止)。議会は一院制で,任期は同じく4年,132議席からなるが,行政府に対抗できるほどの力はない。地方行政面では,18の県departamentoと首都特別区に分かれている。陸・海・空の三軍と公安部隊(FUSEP)がある。義務兵役制度は廃止された。日本との国交は1935年に始まり,第2次大戦による中断ののち,53年に再開された。
ホンジュラスは西半球でもっとも貧しい国の一つで,基本的に農業を基盤としており(労働力と輸出の3分の2を占める),とりわけバナナの生産と輸出が大きな比重を占めている。バナナ生産はおもにカリブ海側の平野でプランテーション形式によってなされ,アメリカ資本が支配している。輸出用作物としては,ほかに南部のコーヒー,さらにマニラ麻,タバコ,ココナッツ等がある。食品加工や繊維・衣料などの軽工業もあるが,まだ未発達である。近年,保税加工区の活動が,特に輸出面で活発になっている。森林資源の開発が進んでいるが,松は1969年代の虫害から完全に立ち直っていない。地下鉱物資源は豊富だが,十分に開発されていない。銀,アンチモン,鉄,金,ボーキサイト等が産出されている。主な貿易相手はアメリカ合衆国で,ついでドイツ,メキシコ,中米諸国などがある。主な輸入品は,機械,車両,化学製品等である。国内交通はおもに道路に依存している。パン・アメリカン・ハイウェーが通っており,カリブ海側の港湾都市プエルト・コルテスからフォンセカ湾に至るルートが最も重要である。鉄道はバナナ輸送用に北部に集中しており,このためテグシガルパは鉄道のない首都として知られている。外国貿易はプエルト・コルテス,アマパラ等の港に大部分を依存している。テグシガルパとサン・ペドロ・スラは国際空港をもつ。
1990年代前半の経済政策の混乱は,インフレや財政赤字の増大を招いたが,自由党政権のもとで財政政策の立て直しがはかられている。しかし,インフレと対外債務はいまだに改善されていない。
ホンジュラス西部にはもともとマヤ系先住民が住んでいた。コパンには大きな遺跡も存在する。コロンブスはその第4次航海(1502)で彼らと接触している。その後,コルテスたちスペイン人がこの地に侵入し,先住民の抵抗(1536年のレンピラLempiraを指導者とした反乱は有名である)を排除して,グアテマラ総督領の一部に同地を編入した。植民地期には,テグシガルパを中心とした銀生産が進められた。カリブ海側にはしばしばフランス人やイギリス人が襲来し,18世紀にイギリスは北部海岸地帯を長期にわたって占領している。
19世紀初め,ホンジュラスでもスペインからの独立が叫ばれ,1821年にグアテマラ総督領の一部として独立を達成した。ついで短期間,イトゥルビデのメキシコ帝国の一州となり,23年には中央アメリカ連邦の一国になり,ホンジュラス出身のF.モラサンが30年に連邦大統領に就任している。連邦派と中央集権派との対立で連邦が崩壊した38年に,ホンジュラスは独立共和国となった。同国の権益をめぐってのアメリカとイギリスとの衝突は,59年にイギリスが占領地を返却することで一応の終りをつげ,アメリカのホンジュラスへの発言権は強大となった。国内では保守派が自由派と抗争を繰り返し,その間にアメリカはバナナ栽培と,その輸送用の道路・鉄道をほぼ完全に支配した。1902年にユナイテッド・フルーツ社,05年にスタンダード・フルーツ社がバナナ生産に加わり,今日に至るまで政治的・経済的に大きな影響力を保っている。アメリカ資本が現地労働者と引き起こした摩擦のため,20世紀初めに何度もアメリカ軍が介入を行った。アメリカの軍事介入は20年代にも行われたが,大恐慌ののちは,T.カリーアスが独裁者として大統領の座につき(1933),49年までアメリカと結びついて強力な抑圧体制を継続した。第2次大戦に際して,ホンジュラスは日本,ドイツ,イタリアに宣戦を布告したが,軍事行動は行っていない。
第2次大戦後,戦時中の輸出不振から生じた失業等に適切な対応ができなかったカリーアスは49年に失脚し,ついでガルベスJuan Manuel Gálvezが54年まで大統領となった。54年の大統領選挙では過半数を得たものがなく,ロサノJulio Lozano Díazが臨時大統領となった。この時期,ユナイテッド・フルーツ社で大ストライキが起こり,労働者の地位が部分的に改善されている。ロサノ政権は56年にクーデタで崩壊し,57年にモラーレスRamón Villeda Moralesが大統領に就任した。モラレス政権は鉄道の部分的国有化,労働法制定,土地改革の準備を行うとともに,61年にはキューバと断交している。同政権は63年に軍部クーデタで倒れ,アレリャノOsvaldo López Arellano将軍が65年に大統領となった。69年に難民問題に端を発して,ホンジュラスはエルサルバドルと交戦している(いわゆるサッカー戦争)。アレリャノは72年にもクーデタで政権の座についた。その後も軍内部での対立や社会的激動がつづき,75年にはメルガルJuan Melgar Castro将軍が政権を握ったが,78年のクーデタで倒れ,軍の3人委員会に権力が移った。80年の総選挙では自由党(中道右派)が勝利し,ついで81年11月の総選挙でも圧勝,同時に行われた大統領選挙で同党のスアソRoberto Suazo Córdovaが当選,民政に復帰した。82年の新憲法施行ののち,85年11月の総選挙では同じく自由党のホセ・アスコナ・デル・オヨJosé Azcona del Hoyoが大統領に選ばれたが,議会での自由党の勢力はかなり後退した。アスコナ政権は親米路線を保ったが,中米紛争に関してはコンタドーラ・グループを支持し,アメリカとは一線を画した。サッカー戦争の後始末は,80年にエルサルバドルと平和条約が結ばれて一応解決したが,ニカラグア革命のあと,ホンジュラスは旧ソモサ派の出撃拠点となり,さらにエルサルバドルでの内戦の激化からくる大量の難民流入もあって,政治的に不安定な状態が続いた。89年国民党のラファエル・レオナルド・カジェハスRafael Leonardo Callejasが大統領に選ばれたが,汚職事件が相次ぎ,93年には自由党が立てた人権派弁護士カルロス・ロベルト・レイナCarlos Roberto Reinaが大統領選で勝利した。レイナは前政権の汚職の追及や軍の改革を進めたが,それに反対する右派のテロが連続して起こっている。97年11月の大統領選挙では,自由党のカルロス・ロベルト・フロレスCarlos Roberto Floresが当選し,98年より同国大統領になる。
執筆者:山崎 カヲル
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「ベリーズ」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
現地音ではオンドゥーラス。中央アメリカの共和国。独立後のメキシコから分離した中央アメリカ連合から分かれて1838年独立した。50年代から高速船によるバナナの輸出が行われるようになると,ホンジュラスでもその栽培が盛んになり,1902年からはユナイテッド・フルーツ会社が生産を拡大して,国の政治と経済を左右する力を持ち,「バナナ共和国」とも呼ばれるようになった。20世紀になって,保守派と自由主義派の対立が続き,33~49年ティブルシオ・カリアスの独裁があったが,57年以後軍の政治介入が激しく,82年新憲法のもとで文民政権が成立した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…中央アメリカのエルサルバドルとホンジュラスの間で,1969年7月に戦われた戦争を指す。サッカー試合がきっかけになったとされるのでこの名があるが,〈100時間戦争〉という呼名もある。…
…したがって,多くの船主は比較的自由に登録国を選択できる立場にある。こうした一般的船舶登録環境のなかにあって,例外的事例として,外国の船主による登録を受け入れるばかりでなく,登録手続がきわめて簡単で,しかも所得税や法人税をほとんど課さず,さらに乗組員の配乗に制限を加えないで船主の自由にまかせる,リベリア,パナマ,ホンジュラスなどの国があり,ギリシア船主,アメリカ船主をはじめとする多くの先進海運国船主がこれらの国を便宜的に置籍国として利用している。このような便宜置籍船はすでに世界商船隊のなかで大きな比重を占めているが,高い海難事故率,劣悪な海上労働条件,発展途上国海運の発達に及ぼす影響等の弊害をもたらす要因になっているとして,国際的な場で問題視されている。…
※「ホンジュラス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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