翻訳|bowling
標的めがけて球をころがす室内競技。一般には10本のピンを倒すテンピン・ボウリングtenpin bowlingをさす。ほかに九柱戯(ナインピンズ)やローンボウルズなどがあり,カーリングやペタンクなども同起源である。
石をころがすような単純な遊びはきわめて古くから行われていたと思われる。ローマ時代になると,ヨーロッパの全土にボウリング式のゲームが広まった。また,ドイツの農民が持ち歩いたこん棒を立てて石を投げつけるケーゲルンKegelnがボウリングの直接の原型ともいわれ,修道院では棒が倒れるかどうかで罪人を判定したという。14世紀ごろにはボウリングがかなり流行し,フランスのシャルル5世やイギリスのエドワード3世が禁止令を出したほど。こうして九柱戯やローンボウルズなどが完成していくが,地域による違いもきわめて多く残されている。17世紀には九柱戯がアメリカに伝わり,19世紀初期にテンピン・ボウリングが生まれた。賭博に利用されるとして禁止された九柱戯に代わるものとして,ニューヨークの愛好者たちの手で考案された競技である。19世紀中ごろには多くの室内ボウリング場がつくられ,1895年にアメリカ・ボウリング協会(ABC)ができて競技規則が整備された。
日本では1861年(文久1)に長崎出島の外国人居留区に九柱戯の遊戯場が開店したという記録がある。テンピン・ボウリングが伝えられたのは1909年で,京都のYMCA体育館にアメリカから投球台が輸入されて設置された。ついで17年,東京YMCAでも行われるようになった。第2次大戦後には進駐したアメリカ兵の愛好するゲームとして関心を呼び,52年に東京神宮外苑に商業施設第1号の東京ボウリングセンターが開場した。61年には自動式ピンセッターが導入され,爆発的ブームの口火となり,72年にはボウリング場数3700(12万レーン)に達したが,73年の石油ショックとともにボウリング場,レーン数が急減し停滞が続いた。その後,87年を境にコンピューター操作のオートマチックスコアラーが導入され全国へ普及した(1997年7月現在90%)ことから,ボウラー数が増え始める。ボウリング業界も89年に従来の娯楽施設利用税が撤廃されたことで活気をよみがえらせ,さらにスポーツボウリングの発展を目ざすこととなった。
1964年にはアマチュアの組織である全日本ボウリング協会Japan Bowling Congress(JBC)が設立された。77年のアジア大会(バンコク)で正式種目に採用されたのを契機に健全な大衆スポーツとして認知され,83年に日本体育協会へ加盟,88年の京都国体で正式種目となった。日本プロボウリング協会は1967年の設立で,女子選手の活躍がめざましく,須田開代子,中山律子,並木恵美子,81,82年国際女子ボウリング協会(WIBC)のクイーンズ・トーナメント優勝の杉本勝子らを輩出した。国際組織としては九柱戯協会などを含めて国際柱技者連盟Fédération Internationale des quilleurs(FIQ)が1952年に設立され,日本を含め92ヵ国が加盟している(1997現在)。
ボールのころがる床をレーンと呼び,幅41~42インチ(1.0414~1.0668m),ファウルラインから1番ピン中心までの距離60フィート(18.288m)で,両側はガター(みぞ)になっている。床材はボールの着地する部分がカナダ産カエデ材,中間部がアメリカ産マツ材である。ピンは木部にプラスチック膜をかぶせたもの,あるいはプラスチック製で,10本のピンの重さが均一でなければならない。ボールは硬質ゴムまたはプラスチック製で,周囲27インチ(68.6cm)とし,重さは国際規格により6ポンド(2.72kg)から上限を16ポンド(7.257kg)までの範囲とされている。ボールには親指,中指,薬指を入れる指穴があけられているが,親指と他の指との間隔(スパン),穴の角度(ピッチ)が手に合ったものを選ばないと,ボールに正しい回転を与えることができない。
ゲームは10フレーム(枠)からなり,一般には3ゲームの合計点で勝負を決める。各フレーム2回の投球ができ,1球目でストライク(10本のピンを全部倒すこと)なら2球目は省略し,次のフレーム以後の2球分の得点(倒したピンの数)が加算される。第10フレームの1球目がストライクならばさらに2球投げられるから,すべての投球がストライクのときは300点満点(パーフェクトゲーム)となる。2球目で残りを全部倒したときは〈スペア〉といい,次のフレームの1球目の得点が加算される。第10フレームでは3球目を投げることができる。得点表(スコア)には1球目の得点と2球目までの結果を記入し,各フレームを積算していくが,ストライクとスペアの場合は後続の得点が決まるまで確定できない。投球は,まず両手でボールを持ち,3~5歩の助走をしてファウルライン手前で足をスライドさせ,ファウルライン前方20cmくらいのところに放球する。いったんガターに落ちたボールやファウルラインを越えての投球は無効である。
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
規定の長さと幅をもった床の先に、正三角形に並べられたとっくり形の10本の棒(ピンpinという)を非金属製のボールを転がして倒す室内競技。日本ではすべて10本のピンを使ったテンピン・ボウリングであるが、9本のピンを使うナインピン・ボウリング(ケーゲル、または九柱戯ともいう)もある。また屋外で行うローン・ボウリングや、ろうそく形をしたピンを用いるキャンドルピン・ボウリングなどがある。
[赤木恭平]
ボウリングは、人間が石を投げたり、転がしたり、的に当てるという本能から発生したものである。紀元前5200年ごろのエジプトの遺跡から石製のピンが発見されているが、これが古代ボウリングの用具ではないかといわれている。また中世ヨーロッパにおいて、宗教的な儀式として木片倒しを僧侶(そうりょ)や教区民たちが行っていたが、これらが現在のボウリングの原形ともいわれている。
現代のボウリングは、16世紀の有名なドイツの宗教改革家マルティン・ルターが競技ルールの基礎をつくったといわれている。いまなお、このナインピン・ボウリングはヨーロッパで盛んに行われている。17世紀、これがアメリカに移住したオランダ人によりアメリカ大陸に伝えられ急速に広まった。しかし、賭(か)け事に利用されたために禁止となり、そこでピンを1本追加し10本としてテンピン・ボウリングが誕生し全米に普及した。1895年アメリカ・ボウリング協会American Bowling Congressが発足、やがて全世界に普及した。現在ボウリングの国際組織、国際柱技者連盟Fédération Internationale des Quilleurs(略称FIQ)には世界ナインピン・ボウリング連盟World Ninepin Bowling Association(略称WNBA)と世界テンピン・ボウリング連盟World Tenpin Bowling Association(略称WTBA)がある。2007年11月現在、WTBAには110の国と地域が加盟している。
日本では、江戸末期1861年(文久1)長崎の出島につくられたサロンにテンピン・ボウリングのレーンが設置されたのが最初である。その後、明治・大正時代に京都青年館や東京・神田(かんだ)YMCA体育館などに設置された。第二次世界大戦後は、アメリカ軍基地内に数多く設備されたが、1952年(昭和27)12月東京・青山に20レーンの東京ボウリングセンターが開場した。その後、機械の自動化とともに全国に急激に増加し、大衆スポーツとしてのボウラーは最盛期には1000万人といわれていたが、1970年代には急速に衰退した。しかし1980年代になって、1987年より、国民体育大会の実施競技に決定、またアジア競技大会には、1978年第8回大会(バンコク)から正式競技となり、人気を回復するようになった。日本におけるボウリングの競技統轄団体として、財団法人全日本ボウリング協会Japan Bowling Congress(略称JBC)がある。国際大会も数多く開かれ、世界選手権大会(4年ごと)、アジア選手権大会(2年ごと)、世界ユース選手権大会(2年ごと)、アジアユース選手権大会(2年ごと)も開催されている。国内では、全日本選手権大会をはじめ全国大会や、それぞれの地域大会が活発に開催され、競技スポーツ、ファミリースポーツとしても広く普及している。
[赤木恭平]
テンピン・ボウリングはレーンlane(アレーalleyともいう)の先端に並べた10本のピンを倒す競技で、1ゲームは10個のフレームで構成され、それぞれのフレームは10本のピンを倒すために2回ずつ投球できる。1回で全部のピンを倒した場合をストライクといい、2回で10本のピンを倒した場合をスペアという。ただし第10フレームのみは第1投がストライクのときあと2回、スペアのときにはあと1回の投球ができる。最高得点数は300点である。
実力どおりに得点を争うスクラッチscratch競技と、競技者の年齢差、男女差、実力差を考慮し、あらかじめ下級の人に得点を与えておいて争うハンディキャップhandicap競技とがある。
競技形式としては、全員が同じゲーム数を投球し総合得点で勝負を決定する形式、1ゲームまたは数ゲームの得点を対戦相手を決めて勝ち抜き戦を行う形式(トーナメントtournament)、これに対して個人、チームで何週間かをかけて総当り形式で勝者を決める形式(リーグleague)などが代表的なものである。
競技種目には、個人戦(個人間で争う)、ダブルス戦または2人チーム戦(ペアで行うもので、男女で組む場合をミックス・ダブルスという)、トリオ戦または3人チーム戦(3人で1チームを編成する)、4人、5人、6人、8人チーム戦などがある。
試合の方法としては、トータル・ピン制(リーグ戦の場合チーム・メンバーの総合得点を比較して決める)、ポイント制(1ゲームをAとBが争い得点の多い側に1ポイントを与える。たとえば3ゲームを行い、Aが2回、Bが1回勝ったとき、Aが2ポイント、Bが1ポイント獲得しAの勝ち)、ピーターソン・ポイント制(各ゲームで勝つと1ポイント、さらに50ピンにつき1ポイントを与え、その合計で勝者を決める)、ボーナス・ポイント制(対戦相手に勝つと自分の出したスコアに50点のボーナスが加算される。たとえばAが250点、Bが200点出したとすると、Aはプラス50点で300点、Bは200点だけ)などがある。
[赤木恭平]
レーンは、助走するアプローチ、投球するファウル・ラインからピットまで19.152メートル、幅は1.042~1.066メートルで、すべて木製(材質はカエデ材)である(レーンの中間だけマツ材を使用している)。また、木材にかわって合成樹脂製のシンセティック・レーンも使用されている。
ボウリング・ピンは、単一または張り合わせの新しいカエデ材で、ピン1本の重量は1.296~1.641キログラムである。ピンの寸法、表面硬度も規定されている。
ボールは非金属製のもので、周囲は68.577センチメートル以下、重量は7.257キログラム(16ポンド)以下、表面硬度も決められている。以上すべてJBC規定による。
[赤木恭平]
助走は一般に、3歩、4歩、5歩助走が使われているが、普通は4歩が多い。
球質には次のようなものがある。
(1)ストレート・ボール ボウリングの基本となる投球法で、レーン上を直進するボール。投げ方は、親指を上に、中指と薬指はボールの真後ろに置き、ボールを下げたとき、手のひらがまっすぐにピンに向くようにする。
(2)フック・ボール ピンに近づくにしたがって、右利きなら左側に回転しながら鋭くかぎ形に曲がるボール。投げ方は、ボールを左にひねり、手はボールを放したときに握手をしたかっこうになる。
(3)カーブ・ボール 大きな弧を描いて曲がるボール。投げ方は、右利きなら中央から左寄りに立ち(左利きは反対)、ボールを放したとき右手の親指が時計の短針で9時をさし、他の指をかぶせぎみにする。
(4)バックアップ・ボール 右利きの人が投げたときボールが左から右へ回転するボール(いわゆるシュート)で、特殊な投げ方に属する。
自分に適した球質をマスターすることが肝要である。
[赤木恭平]
2008年4月現在、ピンの重量は、3ポンド6オンス(1.53キログラム)~3ポンド10オンス(1.644キログラム)と規定されている。
[編集部]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…ボウリングの原型といわれる室内競技。目標のピンが菱形状に9本並んでいることからナインピンズninepinsと呼ばれ,ヨーロッパでは現在も愛好者が多い。…
※「ボウリング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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