ロシア連邦西部を流れる川。長さ3530kmで,ヨーロッパで最長,ロシア国内ではシベリアのオビ,レナ,アムール,エニセイの各川に次ぎ5番目の長さである。流域面積は136万km2で,ヨーロッパ・ロシアの1/3,日本の3.7倍にあたる。その存在は,古典古代以前のギリシア人にも知られており,プトレマイオスはラーRha川とよんでいた。中世以来,北ヨーロッパと中央アジアを結ぶ交易路となって栄え,その沿岸では,ボルガ・ブルガール族,ハザル族の国家,キプチャク・ハーン国,カザン・ハーン国,アストラハン・ハーン国などが興亡をくりひろげた。全流域が16世紀末までにモスクワ大公国に併合され,1670-71年にはラージン,1707-09年にはブラビン,73-75年にはプガチョフの指揮する農民反乱の舞台となった。
モスクワの北西約250km,バルダイ丘陵中の標高230mほどの湿原に源をもち,カザン付近までほぼ東に流れ,カザンからはほぼ南流して標高-28mのカスピ海に注いでいる。左岸からはカマ川,サマラ川,右岸からはオカ川など,水量の豊富な多くの支流が流入している。上流部では11月下旬,下流部では12月上旬に結氷し,解氷はそれぞれ4月中旬,3月中旬で,船舶の航行可能期間は年210~250日ぐらいである。ボルガ流域は産業の発達した地域で,人口も稠密(ちゆうみつ)である。沿岸の人口50万以上の都市を人口順に列記すると,ニジニ・ノブゴロド,サマラ,カザン,ボルゴグラード,サラトフ,ヤロスラブリ,トリヤッチ,シンビルスクとなり,50万以下ではアストラハン,トベーリ,コストロマ,ルイビンスクなどがある。
ボルガはヨーロッパ・ロシアの経済にとって,きわめて大きな意義をもっている。まず運輸についてみると,ボルガはバルト海,白海,黒海を結ぶ河川輸送の大動脈で,上流と下流の高度差が少なく,川幅が広くて航行が容易であり,旧ソ連全体の河川輸送における貨物の2/3,旅客の半分を占めていた。貨物のうちおもなものは木材,石油,鉱石,建築資材,穀物,果実,塩などである。ボルガはまた〈ボルガ・バルト水路〉(1964開通)によって沿岸のチェレポベツがレニングラード(現,サンクト・ペテルブルグ)と結ばれ,〈ボルガ・ドン運河〉(1952開通)によってスターリングラード(現,ボルゴグラード)南方がドン川に結ばれている。〈ボルガ・ドン運河〉によってボルガはドン川,アゾフ海,黒海を経て地中海とつながったわけである。漁業についてみれば,ボルガには75種の魚族が生息していて,その半分以上が漁獲されている。とくに有名なのはチョウザメからとれるキャビアであろう。このほかボルガは,現在では電力供給の面で重要な役割を果たしている。ボルガ・カマ水系の潜在水力エネルギーは膨大で,理論的には電力換算で500億kW/hのエネルギーを生産できるという。既設の発電所のうちおもなものは,第2次大戦前に建設された上流部のウグリチ,ルイビンスクの2発電所,戦後建設のニジニ・ノブゴロド,サマラ,ボルゴグラードなどで,とくに後2者は巨大で230万kW/hの出力をもっている。このように発電所が多いため,ボルガは豊富な水をたたえた貯水池の連鎖のようになり,景観もかなり変わってきている。もちろんダムは船舶の航行を考慮して設計されており,またダムによって豊水期と渇水期の水位差,流水量を調節して航行を容易にし,さらに灌漑用水として流水を活用することが可能となった。
沿岸は,上流のニジニ・ノブゴロド,カザンあたりまでが森林,サマラ,サラトフまでが森林ステップ,ボルゴグラードまでがステップ,以南は半砂漠地帯である。そして上流からヤロスラブリまでは両岸が丘陵で,オカ川合流点からボルゴグラードまでは右岸が高く左岸が低くなり,下流部では長さ70km,面積1万3000km2の三角州となっている。上流から下流へと移りかわる美しい景観は,多数の観光客をひきつけており,古くから〈母なるボルガ〉として親しまれ,《ボルガの舟歌》など多くの民謡にうたわれている。ネクラーソフ,ゴーリキー,コロレンコなどの詩人・作家,I.I.レビタン,V.I.スリコフなどの画家がボルガを題材にしており,とくにレーピンの絵《ボルガの舟ひき人夫》(1873)は有名である。ボルガを舟で下った日本人の見聞,感想としては,芦田均《ロシア印象記》(1924),黒田乙吉《悩める露西亜》(1920)などが興味ぶかい。現代の旅行記としてはNHK取材班《ボルガを下る》(1978)などがあげられよう。
執筆者:倉持 俊一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ヨーロッパ・ロシアを流れてカスピ海に注ぐヨーロッパ最大の大河。長さ3531キロメートル(ダムの建設までは3690キロメートル)、流域面積136万平方キロメートル。これはヨーロッパ・ロシア総面積の約3分の1にあたる。モスクワ北西のバルダイ丘陵に源を発し、水源付近に形成された人造湖セルゲイ湖を出ておおむね東流し、ニジニー・ノブゴロド付近で右岸からオカ川をあわせる。カザン付近で南に向きを変え、左岸からカマ川をあわせてボルガ高地の東縁を流下する。サマラ付近に「サマラの湾曲」Самарская Лука/Samarskaya Luka(英名Samara Bend)とよばれる大きな曲流がある。ボルゴグラード付近からは標高が海面下となり、分流であるアフトゥバ川とともに網状流となって南東に流れる。河口部には80余の分流をもち、広大な三角州をつくってカスピ海へ流入する。支流は数多く、おもなものは、モスクワの中心部を流れるモスクワ川を支流にもつオカ川、ウラル山脈の西麓(せいろく)の水を集めるカマ川のほか、スラ川、ベトゥルガ川、サマラ川などがある。また、最下流部の520キロメートルは支流がない。上流では11月下旬から4月中旬まで、下流では12月上旬から3月中旬まで結氷する。平均流量は、中流のニジニー・ノブゴロドで毎秒2970立方メートル、下流のボルゴグラードで毎秒8060立方メートル(信濃(しなの)川の約15倍)である。
[宇根 寛]
水源の60%以上が雪によって涵養(かんよう)されるため、ダム群構築以前には4~6月の雪解けで水位が急上昇し、しばしば氾濫(はんらん)した。1930年代から、発電、灌漑(かんがい)、治水、船舶航行などを目的とした「ボルガ改造計画」が実施され、ウグリチ、リビンスク、ニジニー・ノブゴロド、サマラ、ボルゴグラードなどのダム(貯水池)が、支流カマ川でもカマ、ボトキンスクなどのダムがつくられ、「ボルガ・カスケード」とよばれる階段状の河川となった。この結果、洪水はなくなり、濁水や渇水によって航行不能となることはなくなった。
流域は、ボルガ・ウラル油田のほか、石炭、岩塩、森林資源など、豊富な資源に恵まれている。また、その豊富な水量は重要な電力源として利用され、多くの発電所が建設されている。中流域は主要な穀物や工芸作物の生産地帯となっている。水産資源にも恵まれ、カワカマス(パイク)、ニシン、チョウザメなど70種以上の魚類がおり、漁業が盛んである。
[宇根 寛]
ボルガ川は、古代にはラー川、中世にはチリ川とよばれ、古くからアジアとヨーロッパを結ぶ重要な交通路であった。16世紀なかばにロシアがカザン・ハン国とアストラハン・ハン国を滅ぼして以後、ボルガ川に沿ってロシア人の移住が進み、また、ペルシアなどとの交易が盛んに行われるようになり、ボルガ川はロシアの重要な通商路となっていった。1937年に建設されたモスクワ運河、52年に完成したボルガ・ドン運河、63年に再建されたボルガ・バルト水路などで、黒海、カスピ海、バルト海、白海を結ぶ通路となってからは、物資輸送の大動脈としての役割をさらに増し、国民経済に益するところはきわめて大きい存在となった。ボルガ本・支流で合計1万7000キロメートルが可航河川となっており、ロシアの河川運輸のなかば以上がこの水系を通過している。木材、石油、石炭、穀物、岩塩、カリ塩、機械類などが運ばれる。おもな河港はトベリ、リビンスク、ヤロスラブリ、ニジニー・ノブゴロド、カザン、サマラ、サラトフ、ボルゴグラード、アストラハンである。
[宇根 寛]
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