ボーエン
Bowen, Norman L.
[生]1887.6.21. カナダ,キングストン
[没]1956.9.11. アメリカ合衆国,ワシントンD.C.
カナダの地質学者,実験岩石学者。フルネーム Norman Levi Bowen。岩石の起源と化学組成に関する実験的研究の分野で最も重要な先駆者の一人。マグマから火成岩ができる際の造岩鉱物の晶出について,反応系列 reaction seriesの学説を唱え,火成岩の多様性を説明した。反応系列に基づくマグマの結晶分化作用は火成岩の成因に関する理論的基礎となった。キングストンのクイーンズ大学で化学,鉱物学,地質学を学び,1909年までに二つの学位を取得。1912年マサチューセッツ工科大学 MITで博士号を取得。同年ワシントンD.C.のカーネギー研究所の地球物理学実験室に岩石学の助手として勤務,そこでキャリアの大半を過ごす。1915年までに岩石学にとって決定的に重要な一連の実験研究を行ない,28歳にして「火成岩の進化の後期」The Later Stages of the Evolution of the Igneous Rock(1915)と題する優れた論文を書き上げた。1919年母校クイーンズ大学の鉱物学教授に就任したが,2年後にカーネギー研究所に復帰,のちの 16年間をケイ酸塩鉱物の研究に費やし,実験的な物理化学的データを岩石学に応用,サンプルが豊富なアフリカ南部のブッシュベルドや東アフリカのアルカリ質溶岩地帯,スコットランドのスカイ島の橄欖岩地帯などを熱心に訪れた。1928年,ボーエンが 1927年の春にプリンストン大学で行なった講義の内容が,『火成岩の進化』The Evolution of the Igneous Rocksとして出版された。その後エール大学から研究に加わった若く有能な J.フランク・シェイラーと共同で,酸化鉄を含むケイ酸塩系の研究に取り組んだ。1937~47年シカゴ大学で教鞭をとり,実験岩石学の講座を開き,1945年には塩基性岩の起源や結晶分化作用に関する論文をまとめた。第2次世界大戦後の 1947年にカーネギー研究所に復帰,水などの揮発性物質を取り囲む鉱物系の研究を行ない,共同研究者 O.フランク・タトルとの花崗岩系に関する共著(1958)で実を結んだ。
ボーエン
Bowen, Elizabeth
[生]1899.6.7. ダブリン
[没]1973.2.22. ロンドン
イギリスの女流作家。伝統的な小説技法によって現代人の心理を描いた。主要作品は『過ぎし九月』 The Last September (1929) ,『北へ』 To the North (32) ,『パリの家』 The House in Paris (35) ,『心の死』 The Death of the Heart (38) ,『日盛り』 The Heat of the Day (49) ,評論『イギリスの小説家』 English Novelists (42) 。
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ボーエン
Elizabeth Bowen
生没年:1899-1973
イギリスの女流作家。アイルランドの旧家に生まれる。12歳で母を失い,父の再婚後はロンドンや大陸で暮らし,20歳ごろから作家を志す。1923年,オックスフォードの学監A.キャメロンと結婚。彼女の全作品に通じる鋭い視覚的感受性を示す処女短編集《邂逅》(1923),アイルランドの大邸宅の生活を描いた,鮮烈な風景感覚のなかによどんだ憂愁を示す秀作《去年の秋》(1929),恐怖小説を思わせる無気味さをもった《パリの宿》(1935),孤独な娘の恋の挫折を描いた《心の死》(1938)などの抒情性に富んだ作品で文壇に登場した。戦後,ステラとその恋人,彼をスパイ嫌疑で追う男との三角関係というメロドラマ仕立ての筋の下に,第2次大戦下の都市生活の崩壊を描いた野心作《日盛り》(1949)で一流作家の地位を確立した。このほかにも多くの長・短編があるが,祖先伝来の邸宅の歴史を扱った《ボーエン邸》(1942)は,アイルランドに住む上流イギリス人の生活を知るうえでも貴重なものである。彼女の作品は,みずからよく知る世界のみを緻密な文体で描くJ.オースティン以来のイギリス女流作家の伝統を,現代的な感受性のなかにみごとに生かしたものといえる。
執筆者:鈴木 建三
ボーエン
Ira Sprague Bowen
生没年:1898-1973
バウエンともいう。アメリカの実験物理学者,天体物理学者。ニューヨーク州に生まれ,シカゴ大学,カリフォルニア工科大学に学ぶ。1927年に,ガス星雲の発する輝線スペクトルのおもなものは,酸素の1回および2回電離したイオンが希薄状態で発する禁制線であることを発見し,永年のなぞを解決した。さらに35年には,ガス星雲における輝線の発光にはヘリウムイオンの発する紫外線の蛍光機構(いわゆるボーエン機構)が強く働いていることを発見し,この理論に基づいて星の進化の最終状態の一種であるガス星雲の化学組成を初めて量的に算出した。45年にウィルソン山天文台長となり,第2次世界大戦のために完成のおくれていた5m反射望遠鏡の建設に努力,パロマー山天文台(現在はウィルソン天文台と合せてヘール天文台という)の発足とともにその台長を兼ねた。彼は光学器械の理論や実験にも優れ,5m主鏡の検査,付属分光器の設計と製作,同天文台のチリ支所の望遠鏡類の企画,設計をも手がけた。
執筆者:大沢 清輝
ボーエン
Norman Levi Bowen
生没年:1887-1956
岩石学者。イギリス移民の子としてカナダのオンタリオ州キングストンに生まれた。クイーンズ大学で化学と鉱物学を学び,1909年卒業後,マサチューセッツ工科大学大学院に入り,12年卒業。以後ワシントンのカーネギー研究所の地球物理学実験所で52年まで研究を続けた。この間,クイーンズ大学(1919-20)とシカゴ大学(1937-47)の教授も務めた。同実験所では火成岩を構成する多種のケイ酸塩のいくつかの系の溶融体の,物理化学的平衡関係について実験し,晶出する結晶と残液の反応が重要であるとする〈反応原理〉を提唱した。そしてもとになる玄武岩マグマからの結晶の晶出と反応,分化と固結によって,各種の火成岩が形成されるとした。そのまとめである《火成岩の進化》(1928)は,近代岩石学研究の方向を示して世界的に影響を与えた。
執筆者:清水 大吉郎
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ボーエン(Norman Levi Bowen)
ぼーえん
Norman Levi Bowen
(1887―1956)
アメリカの岩石学者。カナダのオンタリオ州キングストンに生まれる。1909年、同地のクイーンズ大学を卒業、アメリカに移りマサチューセッツ工科大学に就学した。1912年、新設まもないカーネギー研究機構の地球物理学実験所の所員となり、1952年に引退するまでそこで研究に従事した。岩石学における実験研究の重要性に早くから注目、珪酸塩(けいさんえん)融体の結晶作用の精密な室内実験を行い、近代的実験岩石学の創始者となった。1922年、岩石学における反応原理を提唱し、火成岩マグマはそれまで考えられていたように共融系融体ではなく、晶出結晶と残液とが反応する反応系であることを明らかにした。この理論は近代火成岩成因論の基礎となり、それを展開した主著の『火成岩の進化』(1928)は、岩石学の古典の一つとなった。
[橋本光男]
ボーエン(Elizabeth Dorothea Cole Bowen)
ぼーえん
Elizabeth Dorothea Cole Bowen
(1899―1973)
イギリスの女流小説家。アイルランドの由緒ある地主の家にひとり娘として生まれる。ケントのダウン・ハウス校を卒業し、19歳から家を出てロンドンやイタリアで自活。1923年アラン・キャメロンと結婚し、オックスフォード近郊に定住した。第二次世界大戦中はロンドンの情報省に勤務し、夜は防空警備員を務めたが、この体験は空襲警戒下のロンドンの雰囲気をみごとに記録した『日ざかり』(1949)に反映されている。処女作は27年の『ホテル』。代表作にはほかに『パリの家』(1935)、『心の死』(1938)、『愛の世界』(1955)などがある。また優れた短編作家としても名高く、六冊に上る短編集がある。彼女の作品には、アイルランド、イングランドの地主階級の伝統的な生活意識と、大都会で因習的な道徳の殻を破って自立を求める若い女性の孤独な意識とが、対照的に提示されることが多い。技法的には、20年代の実験的小説の流れの外に立ちながら、詩的結晶度の高い文体、タイム・シフトを用いた緊密な構成、微妙な心理描写、とくに、鮮やかで印象的な場面描写を特徴とし、H・ジェームズやV・ウルフとの類似がしばしば指摘される。
[佐野 晃]
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ボーエン
米国の岩石学者。カナダのキングストン生れ。ワシントンのカーネギー協会地球物理学研究所所員。ケイ酸塩融解物の結晶作用の実験的研究に基づき,火成岩成因論における反応原理を提唱。近代的火成岩成因論の基礎をつくった。主著《火成岩の進化》(1928年)は著名。
→関連項目結晶分化作用
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世界大百科事典(旧版)内のボーエンの言及
【結晶分化作用】より
…特に,結晶作用によって,もとのマグマとは異なる化学組成の岩石が生ずることを結晶分化作用という。マグマの分化は温度の降下に伴う結晶作用によって生ずるという考えは,20世紀初頭からイギリスのハーカーA.Harkerなどによって唱えられていたが,特に,ケイ酸塩溶融体の実験的研究にもとづいてアメリカのボーエンN.L.Bowenが強く主張した1920年ころから,火成岩成因論の主流となり現在に至っている。なお,ハーカーやボーエン以前には,マグマの分化は,マグマが液体である間に起こると考える研究者が多く,ソレーSoretの効果,液体不混和,ガスによる運搬,マグマの混合,マグマの混染などが分化をひき起こす原因であろうと考えられていた。…
【火成岩】より
…その反応の程度によって残りのマグマの化学組成はさらに変化する。このことはN.L.ボーエンによって1922年に見いだされ,[反応原理]と呼ばれている。さらに,地下深部で生じるマグマそのものの化学組成がマグマの生じる条件の違いによって異なるため,さらに多くの種類の火成岩を生じる。…
【岩石学】より
…そして岩石学の主流は記載的岩石学から成因的岩石学へと移った。その発展に貢献したのはV.M.ゴルトシュミット,P.E.エスコラ,N.L.ボーエンなどである。前2者は主として変成岩に化学平衡論を適用して変成岩理論を確立した。…
【結晶分化作用】より
…特に,結晶作用によって,もとのマグマとは異なる化学組成の岩石が生ずることを結晶分化作用という。マグマの分化は温度の降下に伴う結晶作用によって生ずるという考えは,20世紀初頭からイギリスのハーカーA.Harkerなどによって唱えられていたが,特に,ケイ酸塩溶融体の実験的研究にもとづいてアメリカのボーエンN.L.Bowenが強く主張した1920年ころから,火成岩成因論の主流となり現在に至っている。なお,ハーカーやボーエン以前には,マグマの分化は,マグマが液体である間に起こると考える研究者が多く,ソレーSoretの効果,液体不混和,ガスによる運搬,マグマの混合,マグマの混染などが分化をひき起こす原因であろうと考えられていた。…
【反応原理】より
…マグマの結晶作用により火成岩が生じる過程についての重要な原理。1922年[N.L.ボーエン]によって提唱された。冷却に伴ってマグマから結晶が晶出するが,一度晶出した結晶は,結晶作用が進むにつれてマグマ(正確にはマグマ中の液)と反応して,その化学組成を変化させたり,あるいは別の種類の結晶に変化する。…
※「ボーエン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」