ボース(英語表記)Bose, Satyendra Nath

精選版 日本国語大辞典 「ボース」の意味・読み・例文・類語

ボース

(Subhas Chandra Bose スバース=チャンドラ━) インド革命家青年時代から民族独立運動参加。第二次世界大戦中インド国民軍編成司令官として日本軍に協力、インド解放に努力したが、飛行機事故で死去。(一八九七‐一九四五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「ボース」の意味・読み・例文・類語

ボース(Satyendra Nath Bose)

[1894~1974]インドの物理学者光量子に関する量子統計方法を導出し、1924年アインシュタイン論文送付。アインシュタインがこれを光子から気体分子に拡張して展開する端緒となった。

ボース(Subhāsh Chandra Bose)

[1897~1945]インドの民族主義者。国民会議派指導者一人。第二次大戦開始とともに、ドイツ・日本などとの協力による反英・独立闘争を企図し、インド国民軍を組織して日本軍に協力したが失敗。飛行機事故で死亡。チャンドラ=ボース。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボース」の意味・わかりやすい解説

ボース
Bose, Satyendra Nath

[生]1894.1.1. カルカッタ
[没]1974.2.4. カルカッタ
インドの物理学者。カルカッタのプレジデンシー・カレッジで学び,ユニバーシティ・カレッジ講師 (1916) ,ダッカ大学助教授 (23) 。フランスとドイツに留学 (24) ,帰国後,ダッカ大学教授 (27) ,カルカッタ大学教授 (45) 。 1923年光量子に対する量子統計を見出し (→ボース統計 ) ,M.プランクの放射式を導いた。この論文はアインシュタインに送られ,彼の手でドイツ語に翻訳され,出版された。またアインシュタインはその後ボースの考えを発展させたので,この統計はボース=アインシュタイン統計とも呼ばれている。この統計に従う粒子は,彼の名にちなんでボソンと呼ばれている。ロンドン・ロイヤル・ソサエティ会員 (58) 。

ボース
Bose, Subhas Chandra

[生]1897.1.23. オリッサ,カタック
[没]1945.8.19. 台北
インドの民族独立運動家。 1920年インド文官職採用試験に合格したが,翌年任官を辞退し,M.ガンジーの反英非協力運動に参加。 38,39年にインド国民会議派総裁に選出されたが,ガンジーとそりが合わず脱退,39年4月「フォワード・ブロック」を結成。 41年1月インドを脱出しベルリンに向った。 43年5月海路日本に到着,7月シンガポールのインド国民軍の指揮権を掌握。大東亜共栄圏構想に乗じて,同年 10月 21日自由インド臨時政府を樹立,武力によるイギリス権力打倒をはかった。日本降伏直後,台湾で飛行機事故で死亡。

ボース
Beauce

フランス北部,パリの南西からオルレアンの森へつながる石灰岩台地から成る地方。ロームにおおわれた肥沃な土地で,フランス有数の穀倉地帯。小麦とテンサイが主産物。平坦な景色を村々の聖堂の尖塔が彩る。おもな町はシャルトル,シャトーダン,エタンプなど。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ボース」の意味・わかりやすい解説

ボース

インド独立運動の指導者。ケンブリッジ大学卒業後,ガンディーの対英不服従運動に参加。しばしば投獄された。国民会議派左派に属し,その指導者の一人であったが,主流派と意見が合わず1939年除名。1941年インドを脱出してドイツに渡り,インド独立のためにドイツの対英戦争を支持した。次いで1943年日本に亡命,日本軍の支持のもとにインド国民軍を組織した。台北で飛行機事故死。
→関連項目インパール作戦大東亜会議

ボース

インド独立運動の指導者。インド総督暗殺計画が失敗して官憲に追われ,1915年日本に亡命した。新宿〈中村屋〉主人の相馬夫妻にかくまわれ,夫妻の娘と結婚した。日本の軍勢力と結んでインド解放を達成せんとし,インド国民軍の創設に関係した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版 「ボース」の意味・わかりやすい解説

ボース【Subhas Chandra Bose】

1897‐1945
インドの政治家。インドの独立を目ざした民族運動の指導者。ベンガル州の富裕な名家に生まれ,ケンブリッジ大学卒業。インド高等文官試験(I.C.S.)に優秀な成績で合格したが,たまたまマハートマー・ガンディーの呼びかけたインド政庁への非協力・不服従運動にこたえて,高等文官になることを辞退し,民族運動に参加した。たちまちベンガル地方の指導者D.C.R.ダースに認められてぬきんでた若手指導者となった。1924年インド国民会議派カルカッタ支部執行委員を皮切りに,運動中逮捕されて拘留中にもベンガル州立法参事会議員に選出され,さらにカルカッタ市長にも選ばれた。

ボース【Rash Bihari Bose】

1886‐1945
インド民族運動の指導者。日本に長く在住して〈中村屋のボース〉として有名。1908年ごろからベンガル民族運動を指導し,当時の風潮のなかでテロリズム系の運動を行う。12年,インド総督ハーディングに爆弾を投てきして負傷させたが,15年ラホール兵営反乱は失敗に終わった。15年,訪日し時を同じくして亡命中の孫文と邂逅し,知遇を得た。その年の11月,イギリスの圧力による国外退去令に際して,孫文,頭山満などの助けにより,中村屋主人の相馬愛蔵・黒光夫妻のもとに隠れた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ボース」の解説

ボース
Subhas Chandra Bose

1897~1945

インドの政治家。ベンガルの出身。インド国民会議派左派の指導者として台頭。1938年,39年の2度,会議派議長に選出されたが,ガンディーと対立して会議派を離れた。第二次世界大戦中はドイツおよび日本と協力して独立を達成することをめざし,43年,日本軍の援助でシンガポールに自由インド仮政府を樹立,インド国民軍の総司令官となった。45年,飛行機事故のため台北で死去。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ボース」の解説

ボース Bose, Rash Behari

1886-1945 インドの独立運動家。
1886年3月15日生まれ。大正4年(1915)日本に亡命,おなじく亡命中の孫文と親交をむすぶ。国外退去令をうけたが頭山満(とうやま-みつる)らの助けで東京新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光(こっこう)夫妻のもとにかくれた。相馬家の長女俊子と結婚し,12年日本に帰化。中村屋の「カリーライス」の生みの親。昭和20年1月21日死去。60歳。ベンガル地方出身。

ボース Bose, Subhas Chandra

1897-1945 インドの独立運動家。
1897年1月23日生まれ。国民会議派の左派指導者で,ガンジーと対立し離党する。第二次大戦中は反英運動で拘留され,のちドイツへ脱出。昭和18年来日し,その後シンガポールに自由インド仮政府を樹立した。1945年8月18日台湾での飛行機事故で死亡。48歳。ベンガル地方出身。ケンブリッジ大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「ボース」の解説

ボース

生年月日:1886年3月15日
インドの独立運動家
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

インボイス

送り状。船荷証券,海上保険証券などとともに重要な船積み書類の一つで,売買契約の条件を履行したことを売主が買主に証明した書類。取引貨物の明細書ならびに計算書で,手形金額,保険価額算定の基礎となり,輸入貨...

インボイスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android