ポチョムキン(英語表記)Grigorii Aleksandrovich Potyomkin

改訂新版 世界大百科事典 「ポチョムキン」の意味・わかりやすい解説

ポチョムキン
Grigorii Aleksandrovich Potyomkin
生没年:1739-91

ロシア軍人政治家。スモレンスク県の小地主貴族の出身で,1762年のエカチェリナ2世擁立のクーデタに参加して近衛少尉となり,70年以来,女帝の寵を得て出世の道をたどった。68-74年のトルコとの戦争には将軍として出征し,74年陸軍参議会副総裁となり,プガチョフの乱の鎮圧を指導し,75年ザポロージエのコサック本営を廃止した。83年にはクリム・ハーン国の併合に成功し,黒海北岸地方の開拓と黒海艦隊,商船隊,港湾の建設に多大の功績を上げた。84年公爵,陸軍元帥となり,陸軍参議会議長として権勢をふるった。87-91年のトルコとの戦争には全軍を指揮したが,ヤシの講和交渉中に病没した。
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百科事典マイペディア 「ポチョムキン」の意味・わかりやすい解説

ポチョムキン

ロシアの軍人,政治家。女帝エカチェリナ2世の寵臣(ちょうしん)。プガチョフの乱を鎮圧,クリミアを併合,黒海艦隊を創設露土戦争総司令官を務めた。

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世界大百科事典(旧版)内のポチョムキンの言及

【エカチェリナ[2世]】より

…女帝は農業を重視して自由経済協会をつくり(1765),土地測量を行い,商工業については営業の自由を原則とした。外政ではポーランド分割と2度の露土戦争で西方と南方に大きく領土を広げたが,ウクライナと黒海北岸はルミャンツェフP.A.Rumyantsev総督とポチョムキンによってロシア化と開発・植民が進められ,黒海はウシャコフF.F.Ushakov提督などの働きでロシアの内海化した。女帝はシベリア・極東にも注意をはらい,92年にはA.ラクスマンが女帝の親書をたずさえて根室に来航した。…

【ロシア革命】より

… 日本海海戦でバルチック艦隊が全滅すると,政府批判はいっそう高まり,6月9~11日にはポーランド第2の都市ウッチで労働者がバリケードをつくって警官隊と衝突,300人以上の死者を出した。一方,6月14日黒海艦隊の戦艦ポチョムキンで水兵の反乱がおこり,オデッサ市民と交歓し,政府を慄然とさせた。8月6日,きわめて限定された内容の諮問議会(ブルイギン国会)の設置が発表されたが,それではとても国民の満足はえられなかった。…

※「ポチョムキン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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