改訂新版 世界大百科事典 「マウリッツ」の意味・わかりやすい解説
マウリッツ
Maurits
生没年:1567-1625
オランダの総督。ウィレム1世の次男で,ナッサウ伯,オラニエ公(1618年以後)。1584年父の死後国務評議会議長に就任,85年ホラント,ゼーラント,89年オーフェルアイセル,90年ユトレヒト,91年ヘルデルラント,1620年フローニンゲンの各州総督を兼ねた。その間1590年ユトレヒト同盟の陸海軍総司令官に就任,古代ローマの戦術の研究に基づいて軍隊の再編整備につとめ,同盟諸州からスペイン軍を駆逐してオランダ共和国の基礎を築いた。1600年ニウポールトNieuwpoortでも勝利したが,以後はスペインの勇将スピノラAmbrogio Spinola(1569-1630)の反撃に阻まれた。〈十二年休戦条約〉期(1609-21)に,〈厳格カルバン派(ホマルス派)〉を支持して,〈アルミニウス派〉と結ぶホラント州議会と対立,その指導者オルデンバルネフェルトを逮捕(1618),翌年処刑した。しかし政治的手腕に欠けて国家統一強化の機会を逸し,戦争再開後は軍事的にもふるわず,暗い晩年に終わった。
執筆者:川口 博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報