マグナ・カルタ(読み)マグナカルタ

百科事典マイペディア 「マグナ・カルタ」の意味・わかりやすい解説

マグナ・カルタ

大憲章と訳。1215年イングランド王ジョンが,貴族僧侶たちに強制されて認めた勅許状。貴族・僧侶およびこれを支持する市民はジョンの圧政に一致して反抗し,ジョンに迫って彼らの要求書を認めさせた。これをもとにマグナ・カルタが成立。内容の大部分は,従来大領主たる貴族や教会の有した既得権を王が侵害してはならぬことを定めた封建的文書で,全国民のための自由主義的文書ではなかった。しかし商人保護やロンドン市の特権の確認のための規定も含まれている。後世,国民が王の悪政に反抗するときに,E.クックによる大憲章の精神の解釈王権に対する法の支配)がその基盤とされたため,〈イギリス自由主義の要石(かなめいし)〉と称され,立憲政治の出発点の文書とされている。ちなみに,多少の修正を加えて発布された1225年のマグナ・カルタは,現在でもなお効力を保っているイギリスの現行法である。
→関連項目イギリス権利請願罪刑法定主義ブービーヌの戦

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マグナ・カルタ」の解説

マグナ・カルタ
Magna Carta

1215年イングランド王ジョンが貴族に強いられて認めた勅許状。調印はウィンザー近くのテムズ河畔のラニミードで行われた。本来は慣習的に認められた貴族,教会,都市の特権の再確認と遵守を求めたものにすぎず,いったん承認したジョンが直後に無効を宣言して再び貴族の反抗を招いた。ヘンリ3世治世初期に改訂され,25年に最終的に確認された。長らく忘れられた文書であったが,17世紀に議会国王に対する闘争において,法学者クックなどによって,議会の課税同意権,恣意的な逮捕の禁止,法の支配などのイングランド人全般の基本的な権利を定めたものと拡張解釈され,のちにイングランド国制の最重要文書とされるようになった。

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