精選版 日本国語大辞典 「マショー」の意味・読み・例文・類語
マショー
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フランスの作曲家、詩人。シャンパーニュ地方に生まれ、1323年からリュクサンブール伯でボヘミア王でもあったジャン・ド・リュクサンブールの秘書官として活躍したが、46年にジャンが戦死したあとは、フランス王ジャン2世王妃ボンヌ、ナバル王シャルル、そしてジャン2世の息子たちに仕えた。同時に、37年からランス大聖堂参事会員も務め、晩年はランスで過ごした。マショーはトルーベール歌曲の伝統を受け継ぎ、歌曲定型を確立して、以後のフランス多声歌曲の方向を決定づけたばかりでなく、13世紀以来のモテトゥスの分野にも優れた才能を発揮した、14世紀フランスにおける最大の作曲家である。またミサ通常文のすべての章を多声曲として通作した、四声の『ノートル・ダム・ミサ曲』を書いたが、これは一人の作曲家の手になる史上最初の通作ミサ曲として重要である。また、詩作品では『運命の女神の薬』(1341ころ)、『獅子(しし)物語』(1342)などのほか、60歳の彼が16歳の少女と文通、その友情を牧歌的に歌った『真実物語』(1362~65)がとくに有名である。
[今谷和徳]
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… つづく14世紀は,教皇権の落と初期ルネサンスの思潮をうけた世俗音楽の興隆を背景として,宗教音楽は全般的に振るわなかった。しかし,フランスの詩人・音楽家マショーによるポリフォニックな通作ミサ曲(ミサ通常文を一貫して多声部の楽曲に作出したもの。ミサ曲)をはじめとする諸作品があり,また俗語を歌詞とする宗教的な歌曲ラウダlauda(イタリア)やキャロルcarol(イギリス)なども隆盛に向かった。…
…しかし,西洋芸術音楽史の上で〈シャンソン〉という場合,特に中世後期からルネサンスまでの多声歌曲を指し,バロック以降の伴奏付き独唱歌曲は含まない。
【中世・ルネサンスのシャンソン】
12~13世紀に現れたトルバドゥール,トルベールによって歌われた単声歌曲は,14世紀アルス・ノバの時代に入るとG.deマショーの手によって多声歌曲への大きな変貌を遂げた。13世紀にも初期多声楽曲として重要なモテットの最上声部にフランス語の世俗歌が引用される場合があったが,すべての声部が同一の抒情的歌詞を歌う多声楽曲は14世紀半ばまでごくまれであった。…
…フランスでは,トルベールによって確立されたバラード,ビルレー,ロンドーrondeauの,詩と音楽の形式が継承発展させられた。代表的な詩人兼作曲家としてマショーが挙げられる。イタリアでは,マドリガーレ(マドリガル),バッラータballata(フランスのビルレー系),それにカノンの技法によるカッチャcacciaが数多く作られた。…
…宗教的な〈モテット〉のほかに世俗的なモテットも書かれ,さらにアダン・ド・ラ・アルの3声の〈ロンドー〉が示すように,音楽における世俗的なものが比重を増すにいたる。そして14世紀には,ビトリーPhilippe de Vitry(1291‐1361)ほか,とりわけマショーが,リズム構成に新機軸の際だつ新しい様式を作り上げる。それをビトリーは〈アルス・ノバ〉と呼んで誇った。…
…元来,通常式文の歌は一般信徒や下級聖職者が歌う素朴な歌であったが,10世紀になると専門的教会音楽家たちによって扱われるようになり,音楽芸術として進歩し,さらに11世紀以後,多声音楽の発展に伴い,合唱曲の形で数多く作曲されるようになる。14世紀にはG.deマショーが初めて通常式文の5曲を一貫して作曲し,以後,ミサ曲は統一的な楽曲形態として作られるようになる。16世紀末に至るまで,G.デュファイ,J.オケヘム,ジョスカン・デ・プレ,G.P.パレストリーナ,T.L.ビクトリアら当時のカトリック系作曲家はみなミサ曲を残している。…
※「マショー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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