精選版 日本国語大辞典 「マタイ受難曲」の意味・読み・例文・類語
マタイ‐じゅなんきょく【マタイ受難曲】
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『新約聖書』のうち「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」のイエス・キリストの受難物語によった、声楽と管弦楽のための音楽作品。数多くの傑作が残されているが、カトリックではラッスス、ビクトリア、プロテスタントではシュッツ、J・S・バッハらの作品が名高い。とりわけバッハの『マタイ受難曲』(2部78曲)は、『ヨハネ受難曲』(1723初演)とともに、彼の宗教音楽の頂点を示した作品として重要である。作曲されたのはバッハのライプツィヒ時代(1723年以降)と推定され、1729年の聖金曜日(4月15日)の演奏が確認されている。歌詞は「マタイ伝」第26、第27章にヘンリーチ(筆名ピカンダー)の自由詩を加えたもので、かなり多くの自作カンタータから音楽的転用がみられながら、全体の構成の緊密さ、スケールの巨大さには驚くべきものがある。初演後100年目の1829年、メンデルスゾーンが復活演奏して、19世紀におけるバッハ復活の端緒となったことでも重要な作品。
[三宅幸夫]
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…しかしオラトリオ風受難曲では,聖書の記述の中にアリアを挿入するために新たに作詞された宗教的抒情詩が付け加えられ,またドイツ福音主義教会の場合には,それに加えて会衆の賛美の歌であるコラールが要所要所に混入されるようになった。フロールChristian Flor(1626‐97)の《マタイ受難曲》(1667),タイレJohann Theile(1646‐1724)の《マタイ受難曲》(1673)はその初期の例である。聖書の叙述の侵し難い客観性の中に,このように受難のドラマを見つめる信仰者の主観的心情の吐露をまじえる行き方は,受難曲を聴き手に近づけ,理解しやすいものにすると同時に,本来の典礼的・聖書的性格を危うくする傾向をはらんでいた。…
…ドイツの作曲家。〈ミラノのバッハ〉〈ロンドンのバッハ〉と呼ばれる。J.S.バッハと2度目の妻アンナ・マクダレーナの末子としてライプチヒで生まれた。15歳で父を失い,ベルリンで兄エマヌエル(C.P.E.バッハ)から教育を受けた。1754年からイタリアに住み,ボローニャでG.B.マルティーニ神父に師事したのち,カトリックに改宗してミラノで教会音楽の作曲家や大聖堂オルガン奏者として活躍。やがてオペラの作曲家としても名声を確立し,62年からロンドンに定住して次々にオペラを上演,王室や貴族の音楽教師としても絶大な人気を博した。…
…27年C.W.L.ハイゼによる家庭での教育を終えてベルリン大学に学び,とくにヘーゲルの美学講義に興味をもった。29年ベルリン・ジングアカデミーを指揮してバッハの《マタイ受難曲》を再演し,バッハ・ルネサンスの開幕を印した。同年イギリス旅行,次の年にはイタリア旅行を企て,これまでベルリンに限られていた活動舞台を世界に広げた。…
※「マタイ受難曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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