マッカーシー

百科事典マイペディア 「マッカーシー」の意味・わかりやすい解説

マッカーシー

アメリカの政治家。ミネソタ州生れ。セント・ジョーンズ大学卒業。大学教授を経て,民主党下院議員,上院議員を務める。1968年の大統領選挙で,民主党の候補者指名(予備選)に立候補した。当初は泡沫候補と見られていたが,ベトナム戦争終結を訴えたことで〈マッカーシー・ムーブメント〉と呼ばれる一大旋風を巻き起こし,当時のリンドン・ジョンソン大統領(民主党)の予備選からの撤退,すなわち引退への一因となった。候補者指名はこうした動きに触発されたロバート・ケネディ出馬があり,ケネディは一躍最有力候補に躍り出たが,同年6月5日に暗殺された。その結果,マッカーシーも予備選に残れず,最終的には予備選に立候補していなかった当時のヒューバート・ハンフリー副大統領が民主党の大統領候補となった。なお,この時の大統領選挙では共和党のリチャード・ニクソンが勝利し,大統領となっている。

マッカーシー

米国作家。雑誌の編集に関わり,演劇評論家としても活躍していたが,1942年に実験的な構成の《彼女の仲間たち》で作家としてデビュー。《学園の森》(1952年)ではマッカーシイズムを批判したり,ベトナム三部作でベトナム戦争の停止を訴えたり,という政治的発言でも知られる。文芸評論家エドマンド・ウィルソンは2番目の夫(のち離婚)。ハンナ・アレントとの交友も名高い。晩年にはリリアンヘルマン論争。代表作に《グループ》(1963年),《アメリカの渡り鳥》(1971年)など。

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改訂新版 世界大百科事典 「マッカーシー」の意味・わかりやすい解説

マッカーシー
Eugene Joseph McCarthy
生没年:1916-2005

アメリカの政治家。1968年の大統領選挙で同じ民主党の現職ジョンソン大統領に対抗して,ベトナム戦争終結を唱えて名のりをあげ,60年代末のアメリカ政治に新風をまきおこした。ミネソタ州生れ。同州セント・ジョン・カレッジ卒業,ミネソタ州立大学修士。高校,カレッジで経済学などを教えたのち48年,ミネソタ民主農民労働党Democratic-Farmer-Labor Party of Minnesotaから連邦下院議員に当選。民主党に属し下院を5期10年,59年から上院を2期12年務めた。議員としては主として外交,経済関係で活躍したが,彼の名声はむしろ政治家兼学者,評論家,詩人として高く,68年の大統領選出馬も知識人,学生の間での人気を背景としたものであった。〈マッカーシー・ムーブメント〉と呼ばれた,古い型の政治に対する挑戦はロバート・ケネディの出馬をうながし,ジョンソン引退の一因ともなった。なお,党大会ではハンフリー上院議員が大統領候補に指名された。
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マッカーシー
Mary McCarthy
生没年:1912-89

アメリカの評論家,作家。シアトルに生まれ,6歳のとき両親が病没。バッサー女子大学卒業。《ネーション》や《ニュー・リパブリック》などに寄稿する。1930年代初期のトロツキズム運動に関与。34年創刊の《パーティザン・レビュー》の編集に加わり,文芸評論家E.ウィルソンと2度目の結婚をしたがのち離婚し,4回の結婚を経験した。40年代から小説を発表しはじめる。ベストセラーとなった長編小説《グループ》(1963)では,1933年にバッサー女子大を卒業した8人の女性がニューディール政策下のアメリカ社会でたどった人生を通して,〈進歩(プログレス)という観念〉への幻滅が描かれ,大胆率直な性描写と知識階級への痛烈な風刺をこめた悲喜劇が展開される。
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