百科事典マイペディア 「マッカーシー」の意味・わかりやすい解説
マッカーシー
マッカーシー
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アメリカの政治家。1968年の大統領選挙で同じ民主党の現職ジョンソン大統領に対抗して,ベトナム戦争終結を唱えて名のりをあげ,60年代末のアメリカ政治に新風をまきおこした。ミネソタ州生れ。同州セント・ジョン・カレッジ卒業,ミネソタ州立大学修士。高校,カレッジで経済学などを教えたのち48年,ミネソタ民主農民労働党Democratic-Farmer-Labor Party of Minnesotaから連邦下院議員に当選。民主党に属し下院を5期10年,59年から上院を2期12年務めた。議員としては主として外交,経済関係で活躍したが,彼の名声はむしろ政治家兼学者,評論家,詩人として高く,68年の大統領選出馬も知識人,学生の間での人気を背景としたものであった。〈マッカーシー・ムーブメント〉と呼ばれた,古い型の政治に対する挑戦はロバート・ケネディの出馬をうながし,ジョンソン引退の一因ともなった。なお,党大会ではハンフリー上院議員が大統領候補に指名された。
執筆者:泉 昌一
アメリカの評論家,作家。シアトルに生まれ,6歳のとき両親が病没。バッサー女子大学卒業。《ネーション》や《ニュー・リパブリック》などに寄稿する。1930年代初期のトロツキズム運動に関与。34年創刊の《パーティザン・レビュー》の編集に加わり,文芸評論家E.ウィルソンと2度目の結婚をしたがのち離婚し,4回の結婚を経験した。40年代から小説を発表しはじめる。ベストセラーとなった長編小説《グループ》(1963)では,1933年にバッサー女子大を卒業した8人の女性がニューディール政策下のアメリカ社会でたどった人生を通して,〈進歩(プログレス)という観念〉への幻滅が描かれ,大胆率直な性描写と知識階級への痛烈な風刺をこめた悲喜劇が展開される。
執筆者:志村 正雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新