マフディー運動(読み)まふでぃーうんどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マフディー運動」の意味・わかりやすい解説

マフディー運動
まふでぃーうんどう

19世紀末にスーダンで起こったイギリス統治に反対する抵抗運動。マフディーMahdīとはイスラム教で救世主を意味する。19世紀後半、すでにエジプトに進出していたイギリスは、エジプト政府とともにスーダンの支配にとりかかった。このころ、たび重なる戦乱とエジプトの支配に苦しんでいた民衆の間に救世主出現の期待が高まった。1881年、イスラム教のシェイフ(教主)であったムハンマド・アフマドは、自らをマフディーと称し、外国支配からの解放と宗教改革を目ざし、ジハード聖戦)を布告した。エジプト軍はスーダン総督の命を受け制圧に向かったが各地で敗れ、マフディーの名声は急速に高まった。勢いにのったマフディー軍は、1885年、スーダン前総督のゴードン将軍をハルトゥームに破り、エジプト領スーダンの大半を手中にし、オムデュルマンに都を築いた。マフディーの死後、後継者となったアブダッラーは中央集権体制を整えつつジハードを続け、1899年イギリス軍に敗れるまでスーダンを統治した。

[青木澄夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android