精選版 日本国語大辞典 「マムルーク」の意味・読み・例文・類語
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イスラーム世界で「奴隷軍人」をさす。原義は奴隷一般を意味するが,シリア,エジプトでは13世紀頃から奴隷軍人に特定して用いられる。マムルーク朝においては,スルタンやアミールが購入した少年奴隷は専門の訓練学校で養育され,軍事技術のほかアラビア語やイスラーム諸学を教育された。解放後は政治・軍事集団として主人に仕えて国政に関与し,また地方領主としての性格も兼ね備えた。マムルーク朝の滅亡後も,主としてエジプトでは19世紀初頭に至るまで社会の特権階級をなした。
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…このようにイマーム論を除き,スンナ派と十二イマーム派との間に融和の余地がないわけではなく,歴史上,十二イマーム派をジャーファルJa‘far派と呼んで,スンナ派の四法学派と並んで位置づける試みも再三にわたってなされたが,結局さしたる効果をあげなかった。【嶋田 襄平】
[近代のイスラム]
ナポレオン軍に占領されたカイロで,歴史家ジャバルティーは,激動のヒジュラ暦1213年(1798∥99)最大の事件は,エジプトからのメッカ巡礼がやんで,マムルーク朝時代以来毎年の慣行となっていたキスワ(カーバの覆い)が送れなかったことだったと記した。外からの力の衝撃よりも,内的な力の衰弱が重大視されていた。…
…イスラム側の勢力を統一して十字軍に対抗するにはかなり時間がかかったが,ザンギー朝(1127‐1222)のヌール・アッディーンによってかなり推進されたこの事業を,サラーフ・アッディーン(サラディン)が完成させた。サラーフ・アッディーンはマムルーク(奴隷軍人)の力を結集し,その活動の結果,十字軍は地中海沿岸地方に押し込められた。十字軍時代のシリアは,政治的衝突と戦争の時代であると同時に,奇妙な共存と連合の時代でもあった。…
…日本の諸説と比較した場合,時期の設定がはるかに古くなっていることと,総体的奴隷制の考え方があまり適用されていないことが特徴といえるであろう。賤民【岩見 宏】
【イスラム社会】
アラビア語では,自由人(フッルḥurr)に対して奴隷一般をラキークraqīqというが,通常は男奴隷をアブド‘abdあるいはマムルークといい,女奴隷をアマamaあるいはジャーリヤjāriyaと呼ぶ。イスラム法の規定では,奴隷は異教徒の戦争捕虜か女奴隷の子どもに限られ,債務奴隷の存在は原則として否定された。…
※「マムルーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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