百科事典マイペディア 「マヤコーフスキー」の意味・わかりやすい解説
マヤコーフスキー
→関連項目アラゴン|フレーブニコフ|メイエルホリド|ロドチェンコ
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…国内戦時代はウラジオストクで詩集《爆弾》(1921)を発表。1923年,文学上の師マヤコーフスキーらと共に文学団体〈レフ(芸術左翼戦線)〉に加わった。《セミョン・プロスカコフ》(1928)などの一連の物語詩,詩集がこの時期を代表する。…
…F.K.ソログープは暗い影の多い不思議な小説を作り,L.N.トルストイはおおらかな民話と小品を発表した。革命後の新しい児童文学の父はM.ゴーリキーであったが,彼はとくに子どものものを書かずに,V.V.マヤコーフスキーやS.Ya.マルシャークやK.I.チュコフスキーにその実りをゆずった。そのうちでマルシャークは第一人者として,《12の月(森は生きている)》(1943)のような劇やたくさんの童謡を発表している。…
…しかし革命が第1段階を過ぎ制度化の段階が始まると,それはしばしば創造活動の自由と両立しなくなる。1930年4月,みずから生命を絶ったV.V.マヤコーフスキーの生涯がその例である。彼の悲劇は,文学や芸術に対する官僚的統制の代名詞にまで頽廃しかねない〈社会主義リアリズム〉の危険を予告したかのようにみえる。…
…1950年からモスクワ風刺劇場演出家(57年からは首席演出家)。葬られていたマヤコーフスキーの戯曲《風呂屋》を53年に,《南京虫》を55年に,《ミステリア・ブッフ》を57年にそれぞれ舞台に復活させた功績は大きい。そのほかに《検察官》《フィガロの結婚》《知恵の悲しみ》やソ連の現代風刺劇など名作を数多く演出したが,いずれも楽天的で明るい。…
※「マヤコーフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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