マレービチ(英語表記)Kazimir Severinovich Malevich

デジタル大辞泉 「マレービチ」の意味・読み・例文・類語

マレービチ(Kazimir Severinovich Malevich)

[1878~1935]ソ連画家シュプレマティスム絶対主義)を提唱し、幾何学的な形態のみによって画面構成。作「黒い正方形」「白の中の白」など。マレービッチ

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改訂新版 世界大百科事典 「マレービチ」の意味・わかりやすい解説

マレービチ
Kazimir Severinovich Malevich
生没年:1878-1935

ロシア・ソ連邦の抽象画家。シュプレマティズム絵画の創始者。キエフ近郊に生まれ,モスクワの絵画・彫刻・建築学校に学ぶ。印象主義的な時期のあとラリオーノフの前衛芸術運動に加わり,画風は民芸ふうの素朴なものから立体未来派cubofuturismへと展開した。彼の立体未来派は最初F.レジェの円管主義に未来派の色彩を付したものであったが,1913年には分析的キュビスムとロシア未来派の詩の影響をうけて言語イメージと関連する〈超意味的リアリズム〉あるいは〈アロジズム〉と呼ばれる作品《牛とバイオリン》に達する。大胆な実験はさらに続き,同年マチューシンMikhail Vasilievich Matyushin(1861-1934)のオペラ《太陽の征服》の舞台背景に幾何学形態を絵画記号として使用することを思いつき,その後これを〈シュプレマティズム〉の作品として描き,15年にペトログラードで35点を一挙に発表した。なかでも代表作《黒い正方形》は,彼の言う〈形態のゼロ〉として描かれたもので,キュビスムのいう概念の芸術をさらにすすめた理性の芸術となっている。革命後は一時ビテプスク美術学校で〈ウノビスUNOVIS(新芸術肯定)〉グループを結成し,シュプレマティズムを二次元の絵画から三次元のものへと展開させた。23年から26年までレニングラードで建築的立体構成〈アルヒテクトンArchitecton〉を制作,27年ワルシャワとベルリン個展を開くために出国ドイツに70点の作品を残して帰国晩年は,社会主義リアリズムの確立によって疎外された孤独な心境を象徴するような図式的な人物画を描いた。
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百科事典マイペディア 「マレービチ」の意味・わかりやすい解説

マレービチ

ロシアの画家。キエフ近郊生れ。ラリオーノフ〔1881-1964〕の前衛芸術運動に参加し,キュビスムやロシア未来派の影響を受ける。1913年より,純粋な感覚の抽象的表現を目ざす〈シュプレマティズム(絶対主義・至高主義)〉の絵画を描き,単純な幾何学的形態を基礎とする抽象画を発表。1918年には白い幾何学的形態の上に同様の色と形態を描いた《白の上の白》のシリーズに到達した。革命後は美術学校教授を務め,またバウハウスより著書が刊行されるなどヨーロッパの美術界に影響を及ぼしたが,晩年は不遇で,疎外された心境を表すかのような図式的な人物像を描いている。
→関連項目タトリンブラウエ・ライターミニマル・アートリシツキー

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世界大百科事典(旧版)内のマレービチの言及

【シュプレマティズム】より

…ロシアの画家マレービチが1915年に描き始めた幾何学的な抽象絵画の名称。ロシア語で正しくは〈スプレマティズム〉。…

※「マレービチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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