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デジタル大辞泉
「マロリー」の意味・読み・例文・類語
マロリー(George Herbert Leigh Mallory)
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マロリー
Mallory,George Herbert Leigh
[生]1886.6.18. イギリス,モバリー
[没]1924.6.8. チベット,エベレスト北壁
イギリスの探検家,登山家。牧師の家に生まれた。ウィンチェスター大学在学中に登山を始め,ケンブリッジ大学を卒業して教職についた。第1次世界大戦中は軍務につき,1919年教職に復帰。 1921年イギリスの名門山岳会「アルペン・クラブ」が派遣した第1次エベレスト遠征隊に参加。調査をおもな目的としたこの遠征でノース・コルを発見し,ルート開拓に成功した。 1922年酸素ボンベの初使用で知られる第2次遠征隊に再び参加。1回目のアタックは 8230m地点まで到達したが再アタックは雪崩によるシェルパの死亡事故により断念。 1924年第3次遠征隊にも参加。出発前「なぜエベレストに登るのか」と聞かれ「そこに山があるから」と答えたことは有名。アンドリュー・アービンとともに 8170m地点の最終キャンプから山頂を目指したが,再びキャンプに戻ることはなかった。その後,隊員の一人の目撃証言もあるが,2人が初登頂を果たしたのか否かをめぐる論争が繰り広げられた。 1999年に 8155m付近でマロリーの遺体が発見された。
マロリー
Malory, Sir Thomas
[生]1408頃.ウォリックシャー,ニューボールドレブル
[没]1471.3.14. ロンドン
イギリスの作家,騎士。 15世紀最大の散文家で,アーサー王伝説の集大成『アーサーの死』 Morte Darthurの作者。ウォリック伯リチャード・ビーチャムに仕えてフランスに出征,ナイトに叙せられたが,数々の重罪や軽罪を犯したかどでしばしば投獄された。この大作は獄中で完成され,作者の死後 1485年にイギリス最初の印刷業者 W.カクストンによって出版された。
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マロリー
英国の登山家。1921年英国の第1次エベレスト遠征隊に加わり登頂路を偵察,次いで第2次(1922年)にも参加した。第3次遠征において,1924年6月8日A.C.アービンとともに第6キャンプから頂上をめざし,消息を絶った。75年をへた1999年に頂上近くで遺体が発見された。なぜエベレストへ登るのかという問いに,〈Because it's there(山がそこにあるから)〉と答えたという逸話は有名。
→関連項目アルパイン・クラブ
マロリー
英国の作家。アーサー王伝説を収集・英訳した《アーサー王の死》(1485年刊)の作者とされる。その一生については不詳だが,ウォリックシャーの騎士という説が有力で,彼は入獄,脱獄を繰り返している。
→関連項目ビアズリー
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マロリー【George Herbert Leigh Mallory】
1886‐1924
イギリスの登山家。牧師の家に生まれ,ケンブリッジ大学を出て教師となる。ウィンチェスター校で校長R.L.G.アービングから登山の指導を受け,ケンブリッジではG.W.ヤングとも親交があった。イギリスがエベレスト登山をはじめた1921年第1回の遠征隊員となり,22年の遠征では8225mまで達した。24年にも登頂隊員として参加したが,6月8日オックスフォードの学生A.C.アービンと8170mの第6キャンプを出発したまま帰らぬ人となった。
マロリー【Thomas Malory】
1410?‐71
《アーサー王の死》の作者とされる人物。この作品は,アーサー王伝説の英語散文による優れた集大成とも称すべき,15世紀イギリス最高の散文作品であり,イギリス最初の印刷・出版業者W.カクストンによって1485年に出版された。マロリーの伝記は明らかではないが,ウォリックシャー生れの騎士で,40歳のころから殺人未遂,窃盗,強姦などの無法を重ね,投獄,保釈の連続ともいうべき数奇な人生を送り,この間,国会に議席も得ている。
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