改訂新版 世界大百科事典 「マンサムーサ」の意味・わかりやすい解説
マンサ・ムーサ
Mansa Mūsā
西アフリカ内陸に,13~14世紀に栄えたマリ帝国最盛期の王の名。マンサは王の称号で,カンカン・ムーサKankan Mūsāともいう。14世紀前半に在位したと思われる。マリ帝国はその版図内に大量の金を産出し,これをサハラ砂漠を越えた交易によって北アフリカに送り出していたが,1324-25年にムーサ王が行った豪勢なメッカ巡礼と,その途中王がカイロで施した膨大な金についてのうわさは,〈黄金の帝国マリ〉の名を地中海世界に広めた。当時エジプトのスルタンの書記をしていたウマリによると,ムーサ王が施した金のためにカイロの金相場が下落し,12年経っても回復しなかったという。王はイエメン製の錦や絹の服を着た1万2000人の奴隷を従え,1荷3キンタールの砂金を100荷(約13t)ラクダで運ばせた。マンサ・ムーサは東方から学者や建築家をマリに連れ帰ったといわれ,マリ最大の商都であったトンブクトゥに,崩壊と修復を経て現存する大モスクも,ムーサ王の帰国後に建てられたといわれる。また王の巡礼の50年後にマリョルカ島で地誌家クレスケスが作ったアフリカ地図には,黒人の王が金塊状のものをラクダに乗った男に差し出している絵があり,ムッセ・マリ(マリの王ムーサの意味であろう)と記されている。
執筆者:川田 順造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報