イタリア北西部、ロンバルディア州マントバ県の県都。人口4万6372(2001国勢調査速報値)。ポー川支流ミンチオ川の右岸、ポー川との合流点から約20キロメートル上流でミンチオ川が湾曲して土手と橋でくぎられた三つの湖を形成する地点に位置する。農産物の集散地、交通の要地であるほか、第二次世界大戦後、化学や機械などの重化学工業が発展した。マルゲーラ(ベネチア本土部の工業地区)とはオイル・パイプラインで連結されている。イタリア・ルネサンス文化の代表的中心地の一つであり、かつてのゴンザーガGonzaga家の宮殿で現在では美術館・博物館となっているドゥカーレ宮殿(13~18世紀)をはじめ多数の旧跡があり、訪れる観光客も多い。
[堺 憲一]
紀元前6~前5世紀のエトルスク(エトルリア人の町)を起源とする都市で、ローマ時代に栄えた。紀元後601年にはロンバルディア公国の支配下に入り、その後ロンバルディア同盟に属するコムーネ(自治都市)として、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤髯(あかひげ)王)やフリードリヒ2世の支配に抵抗した。その後、ゴンザーガ家の支配時代には、とくに同家のフランチェスコ2世(1466―1519)と結婚したイサベラ・デステが多くの文人や芸術家を保護した。その間にジュリオ・ロマーノ設計によるゴンザーガ家の別荘デル・テ宮殿ができ、マンテーニャのフレスコ画で有名なドゥカーレ宮殿も建てられた。ナポレオンのイタリア支配崩壊後、オーストリア支配下に置かれたが、1866年イタリアに属した。
[藤澤房俊]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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