ミストラ遺跡(読み)ミストラいせき

世界遺産詳解 「ミストラ遺跡」の解説

ミストラいせき【ミストラ遺跡】

1989年に登録されたギリシアの世界遺産(文化遺産)で、ペロポネソス半島南東部、スパルタの西にある中世の城塞都市遺跡。1204年、第4回十字軍が東ローマ(ビザンチン)帝国を攻撃し、首都コンスタンティノープルが陥落したのち、この遠征に参加したフランス騎士ギヨーム1世・ド・シャンリットにより、ペロポネソス半島の一角アカイア公国が建国された。その後、第4代アカイア公ギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアンがペロポネソス半島を統一し、13世紀初頭、十字軍が築いた城塞都市がミストラである。その後間もなく、ギヨーム2世はビザンチン帝国との戦いに敗れ、ミストラなどの拠点をビザンチン帝国に割譲することで講和したが、ミストラはその後もペロポネソス半島の重要拠点として発展を続け、14~15世紀には最盛期を迎えた。こうしたことから、アカイア公国、ビザンチン帝国時代の数々の建造物が遺跡として残されることになった。代表的なものとしてはパンダナサ修道院、オデトリア教会、聖ディミトリオス大聖堂がある。世界遺産には当初「ミストラ」として登録されたが、2007年に現在の登録名に変更された。◇英名はArchaeological Site of Mystras

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百科事典マイペディア 「ミストラ遺跡」の意味・わかりやすい解説

ミストラ遺跡【ミストラいせき】

ミストラ

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