改訂新版 世界大百科事典 「ミノス文明」の意味・わかりやすい解説
ミノス文明 (ミノスぶんめい)
クレタ島に栄えたエーゲ文明を代表する文明。クレタ文明また一般にミノア文明ともいう。名称はクレタの伝説上の王名ミノスMinōsにちなむ。クレタ島の住民は東方からの,また一部は南方からの渡来者であるが,彼らが果樹栽培と海上貿易をおもな生業とした初期青銅器時代から文明が生成する。まず東部のパライカストロ,モクロス,プセイラなどの港町が興り,貿易のおもな相手である先進文明地域のオリエントから,文物について学んだのであるが,その遺物には独自性がみられる。やがて中期青銅器時代になると,より広い平野部をもつ島の中部地域に人口が増加するとともに生産も増大し,クノッソス,ファイストス,マリアに大宮殿が現れ,ミノス文明が開花する。旧宮殿時代(前2000-前1700)である。これらの宮殿は前1700年ころに地震によって一挙に崩壊したが,直ちに新宮殿が立派に再建され,新宮殿時代(前1700-前1400)を迎えるが,社会的にも文化的にも旧宮殿時代を発展的に継承したものであった。しかしクノッソス王が全島を統一すると,ミノス文明の文物は最盛期を迎え,旧宮殿時代に行われた絵文字は線文字Aに発展する。北エーゲ海沿岸を除く東地中海のほぼ全域から発見される多くの遺物は,貿易活動の広さと深さを物語っている。この当時のクノッソス王と他の宮殿の主との関係は明らかでないが,和親状態にあったようで,文物上の差異はなく,それぞれが文化の中心をなしていた。
ミノス文明は都市文化であるが,その源泉も頂点も宮廷にあった。ところで文明の性格は社会組織とともに信仰によって規制される。遺跡・遺物が物語る信仰は断片的でしかないが,多神教であり,人種的にはオリエント系に通じる地中海人種が主体をなしていたところから,基本的には植生神である女性神が主神で,男性神は従属的な地位にあった。信仰の基調は自然崇拝と呪物崇拝であり,聖なるシンボルとしては双斧(ラブリス。左右に対(つい)になった斧)と〈聖なる角〉(2本の牛の角がつながる形)が二大シンボルであって,実物のほか壁画や陶器にも描かれた。独立の神殿はなく,山頂や屋内で礼拝が行われた。ことにクノッソス宮殿の屋上には〈聖なる角〉の造形が並べられていた。このことはそこに住む王が神性であることを示している。王は専制者であるとともに最高の司祭(プリースト・キング)であり,また宮殿の要素として多くの倉庫が示すように通商王でもあった。また大きな工作場が王宮に付属し,美術品はそこで制作された。
これらの宮殿を飾ったのは彫刻ではなく,壁画だった。壁画は新宮殿以後に現れ,主要な部屋部屋は壁面から長押(なげし)や天井,さらに廊下や玄関にまでフレスコ壁画が描かれた。クレタ人は古代第一の絵画民族といわれ,その技法と表現力は彼らが範としたエジプトをしのいでいる。画題は祭礼や行列など人物を主とする宮廷生活,ユリ,バラ,アネモネ,サフランその他の草花や愛らしい小鳥と小動物(聖なる牛は例外)がいる情景,魚などの海生動物である。宗教,政治,また軍事に関する事象はみられず,平和的な海洋民にふさわしい画題である。人物像も動植物も写実的でみずみずしく軽快であり,いずれも静止せずに動いている状態を表し,色彩は鮮麗でニュアンスに富む。画家たちの心性は自然崇拝によって培われ,表現や描法や画題ばかりでなく,絵画そのものの性格においても自然主義的である。このような壁画は宮殿や別宮のほか,民家からも発見されるが,最近発掘されたテラ(サントリニ)島のものには戦闘の場面や町の姿も描かれていて注目される。
彫刻は青銅,象牙,ファイアンス,陶土を素材とするが,いずれも小品であり,丸彫のほか,浮彫にも佳品を残す。壁画と同じように写実的で動きのある人間や動物が表されている。官女と同じ服装の女神や女司祭のファイアンス像,風俗人形のような男女の塑像や青銅像,浮彫を施した凍石製の杯,浮彫小板などは,時代を超えて新鮮である。また象牙の本体に黄金の装飾部をもつ金象牙像も作られた。金工たちは装身具のほかに種々の形の容器(バフェイオ杯)や象嵌した宝剣を製作した。陶器もまたすぐれ,流線的な優雅な器形と,全面を覆う装飾は,その美しさと多彩さにおいて独自の様式を生んでいる。とくに旧宮殿時代のカマレス陶器は,古代に類をみない形態美と多彩さをもつ。新宮殿時代となると,壺絵は単彩となるが,海生動物や植物は自然主義的で清麗である。宮殿式陶器では自然主義的傾向は衰えるが,これは当時クノッソス宮殿の主となったミュケナイ人の性向が加わったためである。ミノス文明は,建築に絵画に陶器に世界美術史上で無視できない独自の様式を完成したが,その根底には自然主義に基づく写実と動的なものに対する強烈な嗜好を核とする美学があり,これこそエーゲ世界の本流をなすものであった。
→エーゲ文明 →ミュケナイ文明
執筆者:村田 数之亮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報