東南アジアの西端にある国。正称はミャンマー連邦共和国Republic of the Union of Myanmar。旧称は1948年の独立から1974年までビルマBurma連邦、1974年から1988年までビルマ連邦社会主義共和国。1988年クーデターにより政権を掌握した軍事政権は国名をビルマ連邦に戻したが、翌1989年ミャンマー連邦に改称、同時に首都ラングーンもヤンゴンに改称した。さらに2006年10月、首都をヤンゴンから同国中部の都市ネピドーNay Pyi Taw(Naypyidaw)へ変更した。2011年3月、新政府が発足し、それに伴い国名はミャンマー連邦共和国に変更された。東から北にかけてタイ、ラオス、中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接し、南西はベンガル湾に面する。面積67万6577平方キロメートル、人口4879万8000(2007推定)、5148万6253(2014センサス)。
国内がようやく安定に向かうと、ネ・ウィン軍事政権はしだいに国際社会へ復帰する方向に転じ、段階的に民政へ移行することになった。1973年12月新憲法草案が国民投票において圧倒的多数で支持され、1974年1月と2月に中央と地方の議員選挙が行われた。一院制人民議会が成立し、ネ・ウィンが大統領に就任した。1981年11月ネ・ウィンは党議長の座だけを握り、サン・ユSan Yu(1918―1996)が大統領を継いだ。1988年9月国防相ソウ・マウンSaw Maung(1928―1997)将軍が率いる国軍が権力を掌握、国家法秩序回復評議会(SLORC=State Law and Order Restoration Council)を設立して、議長に就任した。国内にはなお反政府勢力をかかえている。
[酒井敏明]
政治
1990年5月に総選挙が行われ、アウンサンの娘で1989年7月から政府により自宅軟禁下にあったアウンサンスーチーが率いる国民民主連盟(NLD=National League for Democracy)が、人民議会の485議席中392を獲得して圧倒的な勝利を得たが、政府は民政への移行を拒み、民主勢力の弾圧を続けた。1992年ソウ議長は病気を理由に辞任し、タン・シュエThan Shwe(1933― )将軍が議長に就任し、首相兼国防相として、政府を指導。政府は民意を無視して新憲法の制定準備作業を進め、国民民主連盟は対決姿勢を強めていった。1995年7月、軍事政権はアウンサンスーチーの自宅軟禁を解除したが、政権とNLDの対話は成立しなかった。1996年にはヤンゴンで反政府の大規模学生デモが起こる。1997年、国家法秩序回復評議会は国家平和開発評議会(SPDC=State Peace and Development Council)へと改組された。同年タン・シュエは首相、国防相、国軍司令官を兼任したままSPDC議長に就任、その後2003年に首相を退いたが(国防省・国軍司令官はそのまま兼任)、事実上の国家元首であった。
◎正式名称−ミャンマー連邦共和国Pyidaungsu Myanmar Naingandaw/Republic of the Union of Myanmar。◎面積−67万6590km2。◎人口−5142万人(2014)。◎首都−ネーピードーNaypytaw(116万人,2014)。◎住民−ビルマ人70%。カチン人,シャン人,カレン人などの少数民族25%,華人,インド人など。◎宗教−上座部仏教85%,ヒンドゥー教など。◎言語−ビルマ語(公用語)が大部分,ほかに少数民族の言語。◎通貨−チャットKyat。◎元首−大統領,ティン・チョウHtin Kyaw(2016年3月就任)。◎憲法−2008年5月新憲法承認。2011年1月発効。◎国会−二院制。上院(定員224,選挙議席168,軍人代表議席56),下院(定員440,選挙議席330,軍人代表議席110),任期5年。◎GDP−130億ドル(2006)。◎1人当りGDP−230ドル(2005)。◎農林・漁業就業者比率−69.3%(2003)。◎平均寿命−男63.1歳,女67.2歳(2013)。◎乳児死亡率−50‰(2010)。◎識字率−92.0%(2009)。 * *インドシナ半島西部,アンダマン海に面する共和国。全般に北が高く南が低い地形で,西部にはアラカン山脈(最高点はビクトリア山で3053m)が南北に走る。東部はラオス,タイに続くシャン高原(シャン州)が広がり,サルウィン川が南流する。中央部をイラワジ川,シッタン川が南流,下流部に大デルタを形成している。南東端は入江と小島の多いテナッセリム地方。熱帯季節風気候で,雨季(5〜10月),乾季(11〜4月)の別が明瞭。住民の約70%がビルマ人。カレン人,シャン人,カチン人のほか,中国人(華人),インド人も多く,民族構成は複雑。住民の3分の2が農・漁・林業に依存し,米,サトウキビを主産,チーク材の産も知られる。スズ,鉛,石油,石炭の鉱産があるが,食品加工,セメントなどの工業は小規模。〔歴史〕 初めモン人がイラワジ川流域に栄えていたが,11世紀に南下してきたビルマ人がパガン朝を建てた。パガン朝は1287年モンゴルに滅ぼされ,以後小国が分立した。ビルマ人のタウングー朝が1531年再び国土を統一,1752年モン人に滅ぼされたが,同年直ちにコンバウン朝(アラウンパヤ朝)が建てられ,全ビルマを統一した。3次にわたるビルマ戦争の結果,1886年英領インドの一州となったが,1935年インドから分離した。第2次世界大戦中日本軍に占領された。1948年1月,連邦に参加せず独立した。1962年ネーウィンがクーデタで政権を獲得,ビルマ社会主義計画党を結成し,半ば鎖国状態で独特の国づくりを進めた。1988年民衆の民主化要求運動によりネーウィンは党議長辞任に追いこまれ,ネーウィン体制は崩壊したが,この事態に危機感を抱いた国軍が直ちにクーデタを起こして軍政を敷いた。軍事政権は1988年憲法を停止して,議会を廃止,1989年国名をビルマ連邦からミャンマー連邦へ,首都名をヤンゴンへ改めた。〔軍政から民主化へ〕 1990年の総選挙で,民主化運動のシンボルであるアウンサン・スーチーを指導者とする国民民主連盟が圧勝すると,軍は選挙結果を無視し,政権に居すわり続ける。アウンサン・スーチーは軍事政権により,たびたび自宅軟禁下に置かれた。この間,カレン民族同盟など少数民族の運動も軍政下で退潮を強いられた。1997年東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。2004年5月,新憲法制定のための国民会議が8年ぶりに再開された(代議員1076名。国民民主連盟とシャン民族民主連盟は不参加)が,欧米を中心に軍事政権による人権抑圧政策と北朝鮮との軍事交流などが再三批判された。欧米による国連での非難決議は,地政的・経済的にミャンマーの戦略的位置を重視する中国,ロシアの拒否権発動によって否決されたが,米国,EU諸国は独自の経済制裁を課した。2006年10月,内陸部のネーピードーに行政首都機能が正式に移転したことが発表された。2007年発足したテイン・セイン政権は,欧米との関係改善を目指して,次第に漸進的な民主化方針を採り始め,2011年,テイン・セインは大統領に就任,スーチーと対話を開始,政治犯を釈放,NLDの政党としての再登録を承認した。国名がミャンマー連邦からミャンマー連邦共和国に変更された。2011年12月には,米国のヒラリー・クリントン国務長官がミャンマーを訪問,スーチーとも会談し民主化加速を印象づけた。スーチーは2012年1月NLD中央執行委員会議長に選出され,4月,議会補選に立候補,NLDはスーチーを含む43人を当選させた。欧米諸国はこの動きを歓迎し,経済・外交関係の修復に動き始めた。4月には国連の潘基文事務総長がミャンマーを訪問,さらなる民主化を求めるとともに,欧米諸国に経済制裁の解除とミャンマーの国際舞台への復帰を呼びかけた。2012年11月には,米国のオバマ大統領が現職大統領としてはじめて訪問,テイン・セイン大統領と会談し,2年間で総額130億円の援助を表明,スーチーとも会談してミャンマー政府が進める改革への支持を表明した。テイン・セイン政権は民主化を推進すると同時に,経済改革を断行,海外からの投資を積極的に受け入れる姿勢を示した。最大野党を率いるスーチーは2013年3月軍の式典に出席するなど,民主化を後戻りさせないために軍に一定の政治的妥協姿勢を示しつつ,憲法改正と次期大統領選出馬を視野に入れて活動している。少数民族の運動も活発化しており,国際社会に民主化を認められつつある政権の次なる重要課題は,1948年の独立直後から内戦状態にあった少数民族武装勢力との政治対話の開始である。政権は2013年までに14の武装組織と個別に停戦協定を結び,2015年3月には16の武装組織の交渉担当者を束ねるナイホンサ団長と〈全国停戦協定〉の草案の交渉で合意した。双方の交渉団が,政治対話の開始などの内容をまとめた。少数民族側各組織のリーダーが同意して署名すれば,協定として発効,国内和平の実現へ大きな前進となる。協定草案には,少数民族が求めてきた自治権拡大や民族間の平等といった問題を話し合う〈政治対話〉を署名後90日以内に始めると明記。和平プロセスは停戦交渉の段階から,分権的な連邦制導入といった具体的な政治課題の協議へと移ることになる。しかし,この交渉で政権側は,激しい戦闘になっているコーカン族の武装組織〈ミャンマー民族民主同盟軍〉などを交渉相手と認めず,協定への署名もさせない構えで,コーカン地区は戦闘が続く可能性が高い。また,自治権拡大などを求めるカチン独立機構(KIO)武装勢力と国軍は依然として対峙しており,多民族国家ミャンマーの安定にとって必須の少数民族との和平の実現の見通しがついたとはいえない状況である。2016年3月,NLDやスーチーとも近いティン・チョウが新大統領に就任,55年ぶりに選挙で支持された民主的政権が誕生した。 →関連項目アジア|アンダマン海|東南アジア