ミュンスター再洗礼派王国(読み)ミュンスターさいせんれいはおうこく

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ミュンスター再洗礼派王国 (ミュンスターさいせんれいはおうこく)

北ドイツの都市ミュンスターにおいて,都市宗教改革運動の一環として展開された運動。1533年初頭,司教から宗教改革公認を獲得するが,説教師ロートマンBernhard Rothmann(1495ころ-?)の指導下で激化し,34年2月再洗礼派が合法的に市権力を掌握する。他方,ネーデルラントで迫害されていたメルヒオル派再洗礼派はミュンスターを新エルサレムとみなし大挙流入してきた。かくして新旧諸侯軍の包囲下,再洗礼派千年王国が樹立される。稠密な時間空間の中に成り立ち,ユダヤキリスト教の黙示録的千年王国思想を指導理念としたために,それは,古今東西千年王国運動のなかで最も典型的に開花したものということができる。

 そこでは全生活領域で徹底した変革が遂行された。政治的には,既存の都市統治構造が破棄され,ヤン・マティスのカリスマ的支配から発し,ヤン・ファン・ライデンのダビデ王朝樹立に至る。経済的には,貨幣もギルドも廃止され,財産共有制(共同食堂,現物支給,貴金属生活物資の供出)が強行された。〈霊が肉となった。聖人は罪を犯すことはない〉として,既成の道徳的価値基準も転倒され,一夫一婦制の代りに古代イスラエルの族長制にならって一夫多妻制がテロ恐怖のもとに導入された。ちなみに,この王国における成年男女人口比は1対3。聖書を除くいっさいの書物文書が焼かれ,名まえや月日曜日呼称も変えられた。要するに,包囲された都市空間の中で,絶望と幻想を心理的はずみとして,この世からあの世へ,歴史的時間から超歴史的な時間への飛翔が,約7500人の再洗礼派によって現実に試みられたのである。これら〈選ばれた聖人たち〉は,地上における神の国実現のため〈背神の徒〉と勇敢に戦いつづけたが,やがて包囲網が圧縮されるとともに,飢えと恐怖の地獄絵が現出し,1535年6月25日ついに落城し,捕虜となった男のほとんどすべてと女性の一部が処刑された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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