ミルティアデス(その他表記)Miltiadēs

改訂新版 世界大百科事典 「ミルティアデス」の意味・わかりやすい解説

ミルティアデス
Miltiadēs
生没年:前550ころ-前489ころ

古代アテナイ軍人政治家。アテナイの僭主ペイシストラトス一門の支配体制のもとで,前524か前523年に筆頭アルコン職に就任。その後,黒海ルート確保の国策を受けてトラキア地方のケルソネソス半島に植民地を経営し,レムノス島も占領した。前513年ころのダレイオス1世のスキタイ遠征に参加したが,前493年イオニア反乱荷担者としてケルソネソスから追われてアテナイに帰還した。政敵はケルソネソスにおける僭主政治のかどで彼を告発したが無罪となり,その後は連年将軍に選ばれて反ペルシア路線の急先鋒となった。前490年,第1回ペルシア戦争に際して民会や軍長官(ポレマルコス)に的確な建言を行って迅速な軍事行動をとらせ,マラトンの戦の勝利の最高の功績者となった。しかし,翌年民会を巧みに説得して強行したパロス島遠征は完全な失敗に終わり,50タラントンという巨額の罰金刑を課され,支払えないまま病没した。その罰金は後日息子のキモンが完済することになる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミルティアデス」の意味・わかりやすい解説

ミルティアデス
みるてぃあです
Miltiades
(前550ころ―前489)

古代ギリシア、アテネの将軍。マラトン戦いで指導的役割を果たした。名門フィライオスPhilaios家の出身。彼は紀元前524年ころ、同名の伯父が開拓したトラキアのケルソネソスChersonesosの支配者になった。前5世紀初めにはインブロス、レムノス両島を占領し、アテネに譲った。自ら参加したイオニア反乱の末期、ペルシアの支配を逃れてアテネに戻る(前493)と、ケルソネソスでの専制を理由に政敵により告訴されたが、無罪となる。前490年ペルシア軍がアッティカに接近すると、ペルシア人の戦法を熟知していた彼は、出撃してペルシア人と戦うことを民会で決議させ、マラトンの戦いでペルシア軍の撃退に成功した。しかし、翌年パロス遠征に失敗、莫大(ばくだい)な罰金を課せられて失脚し、拘禁中、パロス島で受けた戦傷がもとで獄死した。なお、デロス同盟の確立に大きな貢献をしたキモンは彼の息子である。

[真下英信]

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百科事典マイペディア 「ミルティアデス」の意味・わかりやすい解説

ミルティアデス

古代アテナイの軍人,政治家。キモンの父。ペルシア戦争中マラトンの戦(前490年)でギリシア軍指揮官としてペルシア軍に大勝。翌年パロス島攻撃に失敗,起訴され罰金を科せられた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミルティアデス」の解説

ミルティアデス
Miltiades

前550頃~前489

アテネ貴族の出身。土着民支配継続のためトラキアにおもむく。ペルシアの進出でアテネに逃げ帰り,前490年マラトンの戦いを指揮して大勝。前489年パロス島に遠征して失敗,訴えられて敗れ,失意困窮のなかで病死。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミルティアデス」の解説

ミルティアデス
Miltiades

前540ごろ〜前489ごろ
古代ギリシアのアテネの将軍
前490年,マラトンの戦いでアケメネス朝軍を打破。しかし,翌年パロス島遠征に失敗して失脚した。

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世界大百科事典(旧版)内のミルティアデスの言及

【クサンティッポス】より

…改革者クレイステネスのめいを妻とし,政界で活躍。前489年マラトン合戦の功労者ミルティアデスを民会で弾劾して有罪にしたが,前484年には陶片追放に遭う。前480年ペルシア軍を迎えての大赦令により帰国。…

※「ミルティアデス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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