精選版 日本国語大辞典 「ムハンマド」の意味・読み・例文・類語
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570?~632
アラブの預言者,イスラームの開祖。メッカのクライシュ族のハーシム家に生まれ,610年頃アッラーの啓示を受け,イスラームを唱えた。クライシュ族の迫害のため,622年,メディナにヒジュラを行い,バドル,ウフド,ハンダクの三つの戦いをへて,630年メッカを征服した。632年,決別の巡礼と称せられる最後のハッジを行ったが,その直後病を発して没し,メディナに葬られた。最初の妻ハディージャとの間に3男4女をもうけ,男子はすべて早世したが,娘ファーティマはアリーと結婚した。イスラームでは最後の最高の預言者とされる。
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モハメドをも見よ。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
…クライシュ族のタイム家出身。メッカの中流の商人で,おそらく預言者ムハンマドの古くからの友人であった。ムハンマドが初めて神の啓示を受けた直後からの最も古い信徒の一人である。…
…外壁のタイル,ドームなどは,オスマン帝国時代に補修されたもの。中央の聖石から預言者ムハンマドが天界をめぐるミーラージュ(昇天)に旅立ったという伝説がある。構築的にはイスラム以前の伝統を踏襲しているが,内外の壁面を飾るアラビア語の銘文が示唆するように,四方どこからでも眺めることができた岩のドームの機能は,近隣諸国の異教徒を征服したイスラムの力を誇示する記念碑的なものであったともいえよう。…
…正しくはクルアーン。ムハンマドが最初に啓示を受けた610年から632年の死に至るまでの22年間,預言者として,また共同体の政治的指導者として活躍する折々に神から下されたとされる啓示を人々が記憶し,後に第3代カリフ,ウスマーンの時に集録されたものである。 114章よりなり,各章には名称があるが,それはその章の主題ではなく,単なる呼称にすぎない。…
… イスラム教徒の地中海地域の征覇に脅威を感じた中世ヨーロッパのキリスト教徒にとって,サラセンは,キリスト教徒の〈敵〉としてのイメージがまとわりつくようになり,同時に,ゆがめられたサラセン人=イスラム教徒の像がつくりあげられた。《ローランの歌》をはじめとする中世の叙事詩において,サラセン人は預言者ムハンマドをあがめる偶像崇拝者として描かれ,しかもムハンマドは偽預言者であり,イスラムは性的放縦を容認する宗教であり,ムハンマドをはじめサラセン人はすべて堕落した人びととされた。またベーダ(8世紀)をはじめとする聖書解釈学において,サラセン人は荒野に追いやられたアブラハムの子イシマエルの子孫として,好戦的な牧民,イサクよりも劣った一族とみなされた。…
…コーランでは,〈昔の人々のやり口〉〈慣行〉(8:38,35:43など),〈神の慣行〉(17:77,33:62など)のように,神に遣わされた使徒たちを否認し迫害して受けた神罰に関連して用いられている。イスラムにおける最も典型的な用法は,〈預言者のスンナ〉つまりムハンマドの範例・慣行のことであり,一般に正しい伝統,ムスリムの守るべき正しい基準を意味する。これに反すること,あるいはそこにない新奇なことはビドアbid‘a(逸脱,異端)として否定される。…
…その意味で中国は本来,平和的防衛的姿勢をとる文明国だといってよいだろう。【川勝 義雄】
【アラブ・イスラム社会】
622年,イスラムの預言者ムハンマドは生れ故郷メッカからメディナという町に移住(ヒジュラ)した。コーランに見える表現によれば,彼はこの移住を〈アッラーの道へ移住し戦うこと〉ととらえていた。…
…624年3月,預言者ムハンマドがメッカのクライシュ族を破った戦い。メディナに移住(ヒジュラ)したムハンマドが,シリアからの帰路にあったメッカの隊商を襲おうとして300余名を率いて出撃。…
…元来は〈はしご〉を意味する語。後にはとくに〈ムハンマドの昇天〉の意に用いられるようになった。コーランは神を天国に至る〈はしごの主〉であると述べ(70:3)ており,またムハンマドを連れて聖なる礼拝堂al‐masjid al‐ḥarāmから遠隔の礼拝堂al‐masjid al‐aqṣāまで夜の旅(イスラーisrā’)をしたと記している(17:1)。…
…アラビア半島の都市。イスラムの聖地で預言者ムハンマド生誕の地。アラビア語で正しくはマッカMakkaと呼ばれる。…
…人口29万(1980)。預言者ムハンマドが没した地で,現在でも彼の墓廟がある。その墓廟は預言者のモスクと呼ばれる豪壮な建造物の一隅にあり,モスク自体は生前のムハンマドの住居兼モスクの位置にあたる。…
…メッカの聖モスクに次いで歴史的・宗教的に重要なモスク。622年,預言者ムハンマド自身によりメディナの住居に接して建造された。以後,改築・再建を重ね,現在のモスクは,マムルーク朝のスルタン,カーイト・ベイのとき(1483)に再建され,オスマン・トルコ時代に修復されたものである。…
※「ムハンマド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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