日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムンク」の意味・わかりやすい解説
ムンク(Walter Heinrich Munk)
むんく
Walter Heinrich Munk
(1917―2019)
アメリカの海洋物理学者。オーストリアのウィーンに生まれる。1933年アメリカに渡り、1939年にカリフォルニア工科大学卒業。1947年カリフォルニア大学より博士号取得(海洋学)。1947~1954年同大学スクリップス海洋研究所地球物理学準教授。1954年以降、同教授を務めた。第二次世界大戦中に、スベルドラップと共同で、軍の上陸作戦のための波浪予測に関する研究に従事した。その後、外洋波浪予報に関する研究や風成海流理論、外洋潮汐(ちょうせき)に関する独創的な研究を行った。さらに、大気や海洋の運動などが地球自転に及ぼす影響を初めて明らかにした。1970年代末には、海洋中を伝播(でんぱ)する音波の伝播時間が水温や圧力によって変化することを利用して、逆に、海洋中の水温の分布などを推定する海洋音波断層観測法Ocean Acoustic Tomographyをマサチューセッツ工科大学のブンシュCarl Wunsch(1941― )とともに提唱した。この観測法の有効性は、1980年代以降アメリカや日本などの研究者によって実海域実験で確認された。また、長距離の音波伝播を利用して、地球温暖化に伴う海洋中の水温の微小な変化をとらえることを提唱するなど、20世紀後半以降の海洋物理学の発展に指導的な役割を果たした。スベルドラップ・メダル(アメリカ気象学会、1966年)、京都賞(稲盛財団、1999年)などを受賞。おもな著書に、スベルドラップと共著の『Wind, Sea, and Swell : Theory of Relations for Forecasting』(1947年。『風波とうねり――その予報の理論』)、マクドナルドGordon J. F. MacDonald(1929―2002)と共著の『The Rotation of the Earth : A Geophysical Discussion』(1960年、新版1975年。『地球の自転――その地球物理学的考察』)、ウーセスターPeter Worcesterらと共著の『Ocean Acoustic Tomography』(1995年。『海洋音波断層観測法』)がある。
[佐伯理郎 2019年1月21日]
『Walter H. Munk, Gordon J.F. MacDonaldThe Rotation of the Earth : A Geophysical Discussion(1960, Cambridge University Press, Cambridge)』▽『Walter Munk, Peter Worcester, Carl WunschOcean Acoustic Tomography(1995, Cambridge University Press, Cambridge)』
ムンク(Edvard Munch)
むんく
Edvard Munch
(1863―1944)
ノルウェーの画家、版画家。12月12日、レーイテンの医師の子として生まれる。父はかなり異常な性格の人であり、早く母と姉を結核で失い、彼自身も病弱であった。こうした環境と肉体が、彼の精神と作風に大きく影響している。1881~84年オスロの美術学校に学び、急進的なグループに影響された。初期の油絵『病める少女』(1885~86、オスロ国立美術館)にみる生と死への凝視が、その後の彼の作品を一貫して流れる基調になっている。89年、一夏を海村で過ごして、神秘な夜の不安をとらえた『星の夜』『白夜』などを描いた。
1890年パリに出てからは、レオン・ボナのアトリエに入る。日本の木版画に魅せられ、ピサロやロートレック、さらにゴーギャンやゴッホにも魅せられた。92年の秋、ベルリン美術協会展に招かれて出品したが、初期の哀愁をたたえた叙情的なものをいよいよ内面化し、生と死を、愛と官能を、恐怖と憂愁を、強烈な色彩のもとに描出した彼の画風は、多くの物議を醸した。しかもこのベルリンでのストリンドベリとの出会いは、いっそうその画風を深める結果となった。その後、パリでマラルメらと交わり、またイプセンを知り、作品としては『叫び』(1893、オスロ国立美術館。象徴主義)を含む、のちに『生(せい)のフリーズ』に取り入れられる連作を完成させた。94年から版画を始め、絵画と同様のモチーフを繰り返して扱っている。
1908~09年の神経病を経て、色彩は明るくなり、文学的・心理的情感がますます著しくなった。15年オスロ大学の壁画を完成。37年、ナチスはドイツにある彼の作品いっさいを退廃芸術として没収した。晩年は世間を避けるように生活し、ナチス占領下の44年1月23日、孤独のうちにオスロに没した。代表作は前記のほか『春』『嫉妬(しっと)』『橋の上』『思春期』など。また版画家としても近代の大家であり、表現主義絵画の先駆として、近年いよいよその声価は高まり、1963年には生誕100年を記念して、オスロに市立のムンク美術館も開設された。
[嘉門安雄]
『土方定一監修『ムンク画集』(1971・筑摩書房)』▽『J・P・フーディン著、湊典子訳『エドヴァルド・ムンク』(1986・パルコ出版)』▽『T・メサー著、匠秀夫訳『ムンク』(1974・美術出版社)』▽『R・ヘラー著、佐藤節子訳『アート・イン・コンテクスト7 ムンク/叫び』(1981・みすず書房)』
ムンク(Andrzej Munk)
むんく
Andrzej Munk
(1921―1961)
ポーランドの映画監督。10月16日、南部の都市クラクフに生まれる。ユダヤ系であったが、第二次世界大戦でドイツ軍のポーランド占領中も国内にとどまる。戦後大学で法律を修めたのち、ウッチの演劇・映画学校で学ぶ。卒業後はカメラマンとなったが、1951年、監督に転じ、おもにドキュメンタリー短編を製作。1956年長編『鉄路の男』を発表した。以降、『エロイカ』(1957)など、ポーランドの現代史を正面から取り上げる作風で、アンジェイ・ワイダとともに、戦争体験を原点とする若手監督によるポーランド派の代表監督とみられるようになった。1961年、収容所体験を引きずる女性を描いた『パサジェルカ』の撮影で訪れていたアウシュヴィッツ強制収容所跡からの帰路、自動車事故による不慮の死を遂げた。『パサジェルカ』は、すでに撮影されていた素材をもとに、未編集・未撮影部分はスチル写真や黒地のフィルムを使い、監督の意図を推し量る語りを加えた特異なスタイルの作品として友人たちが完成し、1963年に公開された。
[出口丈人]
資料 監督作品一覧(日本公開作)
白い決死隊 The Man of the Blue Cross(1954)
鉄路の男 Człowiek na torze(1957)
エロイカ Eroica(1957)
不運 Zezowate szczescie(1960)
パサジェルカ Pasażerka(1963)
ムンク(Kaj Munk)
むんく
Kaj Munk
(1898―1944)
デンマークの牧師、劇作家。5歳で孤児になり、養父母や牧師の援助を受けて大学に進み、卒業後牧師となる。強烈な性格で英雄的人物にあこがれ、卑俗な民主主義に反発したため、一時はファシストと疑われた。出世作『一理想主義者』(1928)は、ユダヤの王ヘロデが詐欺や罪業をほしいままにしてまで自己の権力保持を図るが、ついに聖母マリアとイエスの言行に触れて絶望に陥るまでを描く。ほかにイギリスのヘンリー8世の野望と偽善を描く『キャント』(1931)、『言葉』(1932)が有名。後者はドライヤー監督による映画、邦題『奇跡』の原作。ほかにムッソリーニを扱った『勝利』(1936)、ナチス治下の良心的考古学者の苦悩を描く『るつぼ』(1938)など。1941年にナチスがデンマークに進駐するや、ドイツ侵略に抵抗した中世の国民的英雄を主人公に『ニルス・エッベセン』(1942)を書く。また説教壇から痛烈なナチズム批判を続け、ついに暗殺された。『言葉の剣をもって』は死後にまとめられた説教集である。
[山室 静]
『山室静著『抵抗の牧師カイ・ムンク――その生涯・説教・戯曲』(1976・教文館)』