プトレマイオス1世がその晩年アレクサンドリアに設立した王室付属研究所。地中海世界各地から約100名の学者が招かれ,十分の給与を得て実証的な文献学・自然科学などの研究,講義を行い,ヘレニズム時代の学問の中心となった。前2世紀後半からやや衰えたが,アウグストゥスのとき繁栄を回復した。3世紀以後再び衰微したが,400年頃まで活動の跡がたどられる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...