ヨーロッパ大陸西部、イベリア半島中央部の広大な高原。ヘルシニア造山運動により生じたイベリア中央山塊がその基盤をなし、アルプス造山運動などにより形成された堆積(たいせき)盆地。全体としてやや西と南に傾斜する。東北東から西南西に走る中央山系(2000~2500メートル)により南北に二分される。北部は平均標高700~800メートルの高位メセタすなわちカスティーリャ・イ・レオン、南部は600メートルの低位メセタでカスティーリャ・ラ・マンチャである。マドリードなど少数の大都市域を除き人口密度は低い。山地に囲まれた内陸のため気温較差が大きく、乾燥する。農業は粗放的であるが、ドゥエロ川、バダホス川流域には集約的な灌漑(かんがい)畑がみられる。
[田辺 裕・滝沢由美子]
古代にはイベリア人ないしケルト・イベリア人の主要な居住地であった。ローマと西ゴート人の支配を受けたのち、8世紀にイスラム教徒が侵入し、中世を通じてレコンキスタ(国土回復戦争)の主要な舞台となった。この地に形成されたのがカスティーリャ型封建社会で、王室は功績をたてた騎士に土地を信託し、領主・家臣関係は緩やかなものであった。この時期に乾燥した草原の特性を利用した移動牧羊が発達、ヒツジの群れは秋に南下して越冬し、翌年春に北上して旧カスティーリャ(カスティーリャ・イ・レオン)で剪毛(せんもう)され、羊毛は北部諸港から輸出された。その組合であるメスタは大きな権限をもった。近代に入り、カスティーリャを中心にスペインが統一されると、バリャドリード、マドリードなど行政中心地が置かれた。また南部を中心とする土地貴族の支配が20世紀まで強力で、カタルーニャなどの工業地域を抑えてきた。
[深澤安博]
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…このアルプス造山運動の営力に対し,上記の山塊は,エブロ山塊やベティカ・リフ山塊のように沈下して,エブロ低地やジブラルタル海峡を形成したり,あるいはイベリア中央山塊のように全体的に隆起したり,その対応は異なっている。イベリア中央山塊は隆起により西に傾斜しただけでなく,さらに山塊の中央部の弱体であった破砕帯には北東から南西方向に中央山系,トレド山地が隆起し,この中央山系の南北に北メセタ(旧カスティリャ)と南メセタ(新カスティリャ)の2盆地が形成された。イベリア中央山塊の北部周辺部は南方方向の隆起と陥没により複雑な地形を生み出したが,南部周辺部では断層による大陥没地帯が生じ,南メセタの南縁を形成し,グアダルキビル断層として知られる。…
…なお,カスティリャ王国とは地理的広がりからして異なる点に注意を要する。 両カスティリャは,共にメセタmesetaと呼ばれる標高600~700mの高原台地を最大の地理的特徴とし,同じく共に周囲を山々に取り囲まれている。北部沿岸を除いて海洋の影響から隔絶されているために,気候は寒暑の差が大きくかつ厳しい大陸性気候である。…
※「メセタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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