翻訳|mosque
イスラム教徒の礼拝所,礼拝堂。アラビア語でマスジドmasjidといい,礼拝の最も重要な部分とみなされる平伏(スジュード)を行う場所を意味する。コーランでは,メッカのカーバを囲む聖所が,マスジド・アルハラームMasjid al-Harām(聖モスク)と呼ばれ,現在もその名で呼ばれる。ムハンマドはヒジュラ後ただちにメディナで住宅を建てたが,その中庭がイスラム最初のモスクとされた。現在の預言者のモスクの起源である。ムハンマドはそこで礼拝を指揮し,神の啓示を伝え,信者同士の争いを裁き,行政上の問題に指示を与えた。まさに,その後におけるモスクの原型である。ムハンマド没後の大征服に際しては,バスラ,クーファ,フスタートなどの軍営都市(ミスル)の建設に当たり,まず,中心にアミール官舎dār al-imāraとモスクが建てられた。ダマスクスでは洗礼者聖ヨハネ教会の東半分を接収してモスクとしたが,705年,ワリード1世が西半分をも買収してモスクを拡張した。これがウマイヤ・モスクである。モスクの建設と管理の最終的責任はカリフにあり,彼は首都のモスクにおいてイマームとして礼拝を指揮しフトバ(説教)を述べた。ミスルにあっては,それはアミールの職務であった。
モスクは最初各都市に一つ設けられたが,人口の増加と都市の拡大に伴い,大都市には複数のモスクが設けられ,やがて農村にも及んだ。このころになると,カリフのほかにその一族,スルタン,アミール,高官,富裕な商人は競ってモスクを建設し,その維持のためにワクフを寄進した。都市のハーラ(街区)や農村のモスクは,多くその住民によって建てられ運営された。毎金曜日正午の集団礼拝は各都市の中心のモスクで行われるのが原則で,このようなモスクをマスジド・アルジャーミーmasjid al-jāmi`,略してジャーミーという。そこでは政府の布告がなされ,カーディーの法廷も開かれ,信者にとっては宗教教育を含む学問の場,子弟に対する教育の場(クッターブ)で,さらに情報交換と社交の場でもあった。もっとも,女性は集団礼拝の時以外はモスクを訪ねることなく,裁判所やマドラサ(学院)は後にモスクから独立した。大都市ではジャーミーも複数で(バグダードでは9世紀に2,11世紀に6,12世紀に11),その場合にはとくに重要とされたものは大ジャーミーal-jāmi`al-a`ẓamと呼ばれた。モスクの財政は普通ワクフの収益によって賄われ,ワクフの管理者ナージルがモスクの財政責任者である。モスクの勤務者としてはイマーム,ハティーブ(説教師),カーッス(説教者)またはカーリー(複数形はクッラー),ムアッジン(アザーンを唱える者)のほかに召使いがあり,ワクフの収益から俸給を受ける。モスクは必ずしも建造物に限られない。イードの際のように,地域住民全体が礼拝を行うミフラーブ壁の設けられた広場(ムサッラーmuṣallāまたはイードガー)や,1枚の礼拝用じゅうたんも,それが聖なる礼拝の場である以上モスクである。
執筆者:嶋田 襄平
イスラムでは礼拝のために祭壇,聖具,聖画,聖像の類が使用されることはない。すべてのモスクに不可欠な要素は,メッカの方向(キブラ)を示す象徴的な壁龕(へきがん)ミフラーブであり,多数の信徒を収容する広い空間である。必要に応じて任意に設置されるものとしては,イマームが説教を行う説教壇ミンバル,為政者用の仕切席マクスーラ,コーランの朗唱者用の台座クルシー・スーラー,折畳み式書見台ラヒールなどがある。また,モスク外部には信徒に祈禱の時刻を告げるための塔ミナレット(マナーラ),通常は中庭(サフン)に設けられる洗浄(ウドゥー)用の水槽や泉亭などが,その規模,数,様式はそれぞれ異なるが,設置される。建物自体の壁面はもちろんのこと,各種の設備から従来用いられてきた吊りランプと燭台,じゅうたんなどの調度品に至るまで,装飾にはもっぱらアラビア文字による銘文,幾何学文,アラベスク(様式化された植物文)が使われ,偶像崇拝に直結する人物像や動物意匠はまったく使用されない。
モスクの起源は,メディナにあった預言者ムハンマドの単純素朴な住まいにある。その住宅の一角がイスラム最初のモスクとなり,長方形の中庭と陸(ろく)屋根を架けた多柱式ホール(間口が広く,奥行きの浅い)が基本的構成要素として後世のモスクに長く踏襲された。地方に伝播したモスクは,各地の気候,建築資材,イスラム以前の伝統などの条件に応じて種々のタイプが発達した。ムハンマドの住宅を範としたアラブの多柱式モスク(ダマスクスのウマイヤ・モスク,コルドバのメスキータ),拝火殿チャハール・タークの形式を踏襲したと考えられるイランの4イーワーンīwān・タイプ(中庭に面して半筒形ボールトを架けた前方開放式のホールを設ける)のモスク(イスファハーンのマスジェデ・ジョメ),ビザンティン建築の影響を受けた14世紀以降のトルコの中央会堂式(集中式)構造のモスク(イスタンブールのブルー・モスク)の三つがおもなタイプである。他方,インド,東南アジア,中国では,それぞれ固有の伝統を取り入れた折衷様式が発達した。モスクはしばしば,マドラサ(学院),聖人やモスクの創設者の墓廟,ハーンカー(修道場)など機能を異にした建物を包含することが少なくない。
執筆者:杉村 棟
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イスラム教徒の礼拝所。アラビア語のマスジッド(跪拝(きはい)する所の意)が、スペイン語のメスキータを経て、英語のモスクとなった。とくに金曜日の正午の集団礼拝に使われる大モスクは、マスジッド・アルジャーミー(金曜日モスク。略してジャーミーともいう)とよばれる。また後の時代になると、学校、病院、宿舎、王や聖者の墓を伴った建築物も多くなり、礼拝所の機能とともに、教育・社交の場ともなった。
コーランではすでにメッカの聖域が「聖モスク」(マスジッド・アルハラーム)とよばれている。伝承によると、ムハンマド(マホメット)はメディナへの移住(ヒジュラ)ののち、ただちに集団礼拝の場としてモスクを建てたといわれる。このモスクは、ムハンマドと彼の妻たちの住居の一部であり、これが現在の預言者モスク(マスジッド・アルナビー)の元である。メッカの聖モスク、メディナの預言者モスクは現在でも、エルサレムのアクサー・モスクとともにイスラムの三大聖地とみなされている。
アラブの大征服に際しては、各軍営都市にモスクが建てられた。初期のモスクのうち、現在でも当時の形を比較的伝えているものに、ダマスカスのウマイヤ・モスクやカイラワーンのシーディー・ウクバ・モスクなどがある。
礼拝の場という機能は共通であるが、建築様式として定められた規則はないので、時代・地域によりモスクの外見には大きな差異がみられる。おもな様式には、シリア・エジプト型、マグレブ・スペイン型、イラン型、オスマン型、インド型などがある。
モスクは普通、礼拝の呼びかけ(アザーン)を行うミナレット(尖塔(せんとう))、礼拝の前の浄(きよ)め(ウドゥー)を行うための水場を備えている。また内部にはキブラ(礼拝の方向)を示すミフラーブとよばれる壁龕(へきがん)、ミンバルとよばれる説教壇などがあり、床にはカーペットが敷き詰められている。モスク内には祭壇のようなとくに聖なる場所はない。ミフラーブがモスクの中でもっとも装飾される場所である。しかし、イスラム教では図像表現が禁止されているので、モスク内の装飾は図案化されたアラビア文字やアラベスク文様である。
[竹下政孝]
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イスラームの礼拝堂。アラビア語マスジドの訛り。最小限度必要な設備は,礼拝の方向(キブラ)を示す壁のくぼみ(ミフラーブ)と説教壇(ミンバル)であるが,多くは洗浄の設備,ミナレット,ドーム,学校,図書館などを持つ。メディナのムハンマドのモスクが最も古いが,イスラーム世界の各地にあまねく設けられ,それぞれ地方的建築様式の特徴を示す。
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…また,視覚的にも単調きわまりない環境に取り囲まれた都市などオアシスの集落では造園に力が注がれ,噴水や縦横に配置された水路を基本とした庭園が随所に設けられた。 宗教的な観点からは,礼拝のために地域住民の大部分を収容できるスペースがモスクにまず要求され,さらに,聖地メッカに面する内壁面に設けられ,礼拝の方向(キブラ)を示すミフラーブ(壁龕)が必須条件となり,そのほかに礼拝を指導するイマームの座席ともいうべき階段状のミンバル(説教壇),礼拝に参集すべくムアッジンが信徒に呼びかけを行う高塔ミナレット(マナーラ),礼拝の前に行う潔斎(ウドゥー)のための泉亭ないし水槽などが重要な条件となった。 イスラム世界の建築に見られる閉鎖性の側面は,特に民家の造りに影響を及ぼした。…
…これらの背景としては,中東,インド亜大陸,東南アジアなどイスラム世界との人物交流が増加し,インド亜大陸からのムスリム商人やソ連から亡命したトルコ系ムスリムが日本において活動するようになったことがあげられる。日本で活動を始めたこれらの人々によって,まず神戸にモスクが建設され(1935),次いで日本人ムスリムらの協力をも得て東京にもモスクが建設されるにいたった(1938)。日本最初の公開のイスラム礼拝式は,すでに1922年東京でトルコ系ムスリムのイマームによって行われている。…
…他方,樹木とくに果樹は,独立して表現される場合も,しばしば単純化された楽園としての意味をもち,その周辺に鳥獣が遊ぶさまを描写したものが,キリスト教およびイスラムの美術に数多く見られる(パレルモ王宮のモザイクなど)。さらにキリスト教教会堂が植物彫刻で満たされ,イスラムのモスクが植物の形態に由来する文様のモザイクやタイルで一面に飾られるのも,そこに楽園表現の意図が働いているものと見ることができる。 天国ないし楽園の第2の類型は,聖書の末尾すなわち《ヨハネの黙示録》21章に記されている〈新しきエルサレム〉である。…
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[巨大都市]
大都市のなかで人口1000万前後の巨大都市が20世紀初期から先進諸国に現れた。たとえばロンドン,ニューヨーク,上海,東京などであり,第2次世界大戦後にはロサンゼルス,シカゴ,カルカッタ,メキシコ・シティ,モスクワ,サン・パウロ,ソウル,ジャカルタなども加わった。これら巨大都市の特徴はその国の卓越都市であるとともに,世界都市としての機能も備えるようになったことであり,都心部の業務地域に外国籍・多国籍企業の事務所の集中がみられる。…
…法学を中心に,コーラン諸学,ハディース学,神学,言語学,古詩学などの教授が中心で,数学,天文学,医学,哲学などイスラムにとっては外来の学問も教授される場合もあり,イスラム世界に広く存在し,小さな町でも一つ以上,大都市では数十から100を超えるマドラサがあった。マドラサは大きなモスクそのものの場合もあり,またモスクの付属施設の場合もあった。授業はモスクの礼拝場でなされるのが普通であったが,場合によってはマドラサとしての特別の施設にモスクが付属することもある。…
…イスラムの礼拝堂モスクの構成要素の一つで,ムアッジンが信徒に祈禱の時刻を告げる,いわゆるアザーンを行うための高塔。アラビア語ではマナーラmanāra。…
…イスラムの礼拝堂モスクの四壁のなかで,とくに聖地メッカの方向に面する側の内壁に設けられるアーチ形のニッチ(壁龕)。主軸となる中央廊(幅広く一段高い)とキブラ壁との接点などに設置されることが多いが,小型のミフラーブが数基加えられることもある。…
…イスラムの礼拝堂モスク,とくに大都市の主要モスクのミフラーブの右側に設置される説教壇で,イマームの説教やコーランの朗唱のために使用される。かつてはここから種々の布告や公文書の通達が行われたこともあり,初期のイスラム社会においては政治的・宗教的象徴であったといえる。…
※「モスク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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