モブツ(英語表記)Mobutu Sese Seko

改訂新版 世界大百科事典 「モブツ」の意味・わかりやすい解説

モブツ
Mobutu Sese Seko
生没年:1930-97

アフリカ,ザイール(旧,コンゴ)の軍人,政治家。ベルギーの植民地時代にコンゴ公安軍に入隊したが,その後ジャーナリストを経て政界に入り,コンゴ国民運動(MNC)の一員として,1960年初めの独立円卓会議に参加した。60年6月の独立とともに軍参謀総長に就任し,コンゴ動乱初期の同年9月にはクーデタによって政権を握り,委員制内閣を組織したが,61年初め進んで民政に移管した。65年11月再びクーデタを起こして政権を奪取し,カサブブに代わって大統領に就任した。当初は暫定政権を称していたが,しだいに長期政権への姿勢を強め,71年からは〈真正性〉を追求する〈ザイール化〉政策を推進するなど,一連の改革に着手した。この政策はその後挫折したが,モブツ体制は革命人民運動(MPR)の一党制などに支えられて命脈を保った。84年の大統領選挙では単独の候補者として臨み三選された。91年12月の任期切れ後も大統領職に居座ったが,96年10月に始まった東部ザイール紛争の拡大で97年5月に首都を反政府勢力に包囲され,国外に逃亡。30年におよぶ権力の座から追われ,亡命先のモロッコで病死した。
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百科事典マイペディア 「モブツ」の意味・わかりやすい解説

モブツ

ザイール(コンゴ民主共和国)の軍人,政治家。1960年6月の独立とともに軍参謀総長に就任。独立直後に始まったコンゴ動乱初期の同年9月,クーデタで実権を掌握したが,1961年文民に政権を移譲した。1965年クーデタで再び政権を握り,国名をコンゴからザイールに改めるなどの〈ザイール化政策〉を推進。しかし,政権の腐敗,民族間対立という難問を解決できず,1997年5月コンゴ・ザイール解放民主勢力連合によって首都キンシャサが制圧された。モブツは海外に逃亡し,死亡
→関連項目コンゴ民主共和国

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旺文社世界史事典 三訂版 「モブツ」の解説

モブツ
Joseph-Désiré Mobutu

1930〜97
コンゴ(旧ザイール)の軍人・政治家
1955年の除隊後,政治活動にはいり,コンゴ民族運動(MNC)の活動的メンバーとなる。1960年,コンゴ民主共和国独立後,9月大統領と結んでクーデタを起こし,ルムンバ派を追放。翌年国家元首の地位を大統領に返還したが,1965年のクーデタで政権を奪還,大統領に就任(在任1965〜97)。1971年国名をザイールと改称。親米的独裁を続けていたが,1997年,反政府ゲリラの侵攻失脚,モロッコに亡命して死去

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世界大百科事典(旧版)内のモブツの言及

【コンゴ民主共和国】より

…盆地の最低部は赤道上の東経18゜付近,コンゴ川にウバンギ川が合流するあたりを中心とし,平均標高は400mである。東の国境はアフリカ大地溝帯の底部や肩部に並ぶアルバート湖(この国ではモブツ湖と改名),ルウェンゾリ山地(最高5109m),エドワード湖,ビルンガ山地(カリシンビ4507mやニーラゴンゴ3470mなどの火山をもつ),キブ湖,タンガニーカ湖などを連ねる。その西肩は2000~3000mの傾動山塊で,ミトゥンバ山地と呼ばれる。…

※「モブツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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