精選版 日本国語大辞典 「モンブラン」の意味・読み・例文・類語
モンブラン
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ヨーロッパ・アルプス西部、フランス・イタリア国境にあるヨーロッパの最高峰。イタリア語名モンテ・ビアンコMonte Bianco。標高4808メートル。山頂はフランス側にある。ボス、モン・モディ、プトレイ、イノミナータ、ブルイヤール、ビオナセイの六大山稜(さんりょう)がある。山名は「白い山」の意で、フランス側の登山基地シャモニー・モンブランからは白雪の美しい山容をみせ、メール・ド・グラス氷河が発達する。シャモニー・モンブランはアルプスでもっともにぎやかな登山・スキーの根拠地で、エギュイーユ・デュ・ミディ山に通じるロープウェーやメール・ド・グラスへの登山電車などによる観光・登山客が多い。イタリア側はブレンバとよばれる高度差1400メートルの氷壁をつくっている。
アルプスの象徴として早くから登山の対象となり、18世紀後半スイスの科学者ド・ソシュールによって登山が提唱され、その後援によって1786年8月8日シャモニーの医師M・G・パッカールと水晶採りを業とするJ・パルマーの二人がフランス側から初登頂した。後援者のソシュールも翌年登頂している。これがヨーロッパにおける近代スポーツ登山の先駆けとなり、イギリスをはじめとする多くの登山者がアルプスの高峰へ挑み、アルプス登山の黄金時代へと発展した。日本人も1921年(大正10)、外交官で登山家の日高信六郎(ひだかしんろくろう)(1893―1976)の初登頂に始まり、現在では毎年数百人の登山者がある。多くのルートがあり、グラン・ミュレ小屋などの山小屋も多い。
[徳久球雄]
『ガストン・レビュファ著、近藤等訳『美しきモン・ブラン山群――その雪と岩に刻まれた歴史』(1969・新潮社)』▽『ガストン・レビュファ著、近藤等訳『モン・ブラン山群――特選100コース』(1974・山と渓谷社)』▽『小川清美写真・文『シャモニ周辺を歩く――モン・ブラン山群の特選コース23』(2000・山と渓谷社)』▽『三浦敬三著『99歳、モンブラン大滑降に挑む』(2002・草思社)』▽『清水竜基著『はじめてのモンブラン――漫画で描く、海外登山ツアーの手記』(2004・夢工房)』
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…日本に置かれた最初は下田にアメリカ領事ハリスが開いたものであるが,日本が外国に領事館を設置したのは,幕府が1867年(慶応3)9月サンフランシスコにおいてアメリカ人チャールズ・ウォルコット・ブルークスを雇い入れて領事事務を委任したのと,それと前後してパリでフランス人フルーリー・エラールに総領事の事務を委任したのがはじめであるという。69年(明治2)に政府はエラールに代わりフランス人モンブランを雇い入れ総領事とし,70年10月には清国の上海に仮領事館を置き品川忠道を勤務させた。翌71年11月正院は総領事以下の官を置くことを布告し,サンフランシスコ,上海に続き,ニューヨーク(1872年3月),福州(1872年9月),香港(1873年4月),ベネチア(1873年3月),マルセイユ(1874年3月),ローマ(1874年7月),厦門(アモイ)(1875年4月),天津(1875年9月),ホノルル(1875年11月),牛荘(1876年3月),ロンドン(1876年4月),芝罘(チーフー)(1876年5月),ウラジオストク(1876年12月),ミラノ(1878年5月),シンガポール(1879年4月)と逐次設置した。…
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