精選版 日本国語大辞典 「ユダヤ人」の意味・読み・例文・類語
ユダヤ‐じん【ユダヤ人】
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セム語族に属するが、早くからヘブライ人とカナーン人とが混血した民族。元来はヘブライ語を用いていたが、紀元前6世紀以後アラム語にかわった。ユダヤの名称は『旧約聖書』中の太祖ヤコブの子ユダの子孫であることに由来するが、バビロン捕囚ののちはイスラエル人(ヘブライ人)の総称となった。現在の総人口は約1300万。イスラエル国のほか、アメリカ合衆国、旧ソ連地域、ヨーロッパ諸国に散在している。
[漆原隆一]
『旧約聖書』によれば、メソポタミアのウルからの移住者がアブラハムに率いられて、カナーンの地に入ったが、ヤコブの一族はさらにエジプトに移住した。やがてファラオの圧制を受けたため、前1230年ころモーセに率いられて、「出エジプト」を敢行した。カナーンに戻る途中、シナイ山で「十戒」を中心として神との間に契約を結んだことは、12部族が宗教共同体としてのイスラエル(ユダヤ)民族として成立する画期となった。原住のペリシテ人と抗争しつつカナーンに定着し、前1000年ころサウルのもとで王制を敷いた。ヘブライ王国は、エルサレムを都と定めたダビデや、神殿を建設したソロモンによって全盛期を迎えたが、ソロモンの死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。その後イスラエル王国は前722年にアッシリアに、ユダ王国は前586年に新バビロニアに滅ぼされた。ユダ王国滅亡の際、多くの住民がバビロン捕囚の身となったが、前538年にアケメネス朝ペルシアのキロス2世によって帰還を許され、再建された神殿を中心としたユダヤ教団の成立をみた。ペルシアにかわったアレクサンドロス帝国ののち、セレウコス朝シリア王国の支配下に置かれたが、シリア王アンティオコス4世の迫害に対してマカベア戦争を起こし、前141年にハスモン朝の祭司王国として独立を回復した。やがてローマが台頭すると、前63年その属領とされた。
[漆原隆一]
前1世紀後半にはローマの庇護(ひご)のもとで、ヘロデ大王が強圧的統治を行った。ローマからは総督が派遣されたが、ポンシオ・ピラトのもとでイエス・キリストの処刑が行われたことは有名である。ユダヤ人のなかには「熱心党」とよばれる過激な国粋主義者がおり、これが中心となって第一次ユダヤ戦争を起こしたが、紀元後70年にローマに敗れ、エルサレムは征服されて神殿も焼かれた。さらに135年にも第二次ユダヤ戦争に敗れ、ユダヤの地はついに廃墟(はいきょ)と化し、その結果ユダヤ人は世界中に離散する身となり、これをディアスポラ(離散)とよんでいる。神殿を失ったのち、貴族、祭司は力を失い、ユダヤ人の指導者となったのは律法学者(ラビ)であり、彼らの研究成果として聖書解釈の体系である「タルムード」がバビロンとパレスチナで編集されたことは、ユダヤの伝統の集大成としてきわめて重要である。
[漆原隆一]
中世ヨーロッパ諸国のユダヤ人に対する態度は一定していないが、一般的にはユダヤ人はキリスト教世界の社会機構から締め出されていた。土地所有は認められず、ギルドからも排斥された。必然的に、キリスト教徒には禁じられている金融業、高利貸業などに進出せざるをえなかったこともあり、人々の憎悪の対象となった。12世紀の後半、異端問題が深刻化するに伴い、迫害はユダヤ人にも及ぶようになり、キリスト教徒がユダヤ人に雇われることや、同居することなどが厳禁された。13世紀初めにはユダヤ人に差別バッジをつけさせる制度が始まった。さらに富裕なユダヤ人は王にとっての財貨の源泉とみなされたため、追放と財産没収とが繰り返された。十字軍時代には、大衆のユダヤ人への偏見、迷信などが増幅され、ヨーロッパ各地で大量虐殺が行われた。ユダヤ人を厚い壁で隔離するゲットー(ユダヤ人居住地区)は16世紀後半以後本格化し、イタリアから始まってフランス、ドイツ、ポーランド、ボヘミアなどで行われた。
[漆原隆一]
やがて市民革命と自由主義の潮流に伴ってユダヤ人解放も実現していった。アメリカ独立革命、フランス革命、ドイツ統一などが顕著な例であり、立憲主義に基づいて平等な市民権を獲得していった。しかし史上最大の迫害は20世紀になってナチス・ドイツ政府によって行われた。1933年に政権を握ったヒトラーは反セム主義を掲げ、ユダヤ人の公職からの追放、すべての職業からの排斥などの政策を推進、第二次世界大戦が開始されると、東ヨーロッパの特別区にユダヤ人を強制的に送り込み、ついにはアウシュウィッツ、マイダネク、ベルツェクなどの強制収容所で射殺、注射、毒ガスなどによるユダヤ人根絶の挙に出、その結果四百数十万人が殺害されたとされる。一方、第一次世界大戦に際しユダヤ人が連合国側を支援したのに対して、イギリスは「バルフォア宣言」によってパレスチナにユダヤ人の国家を建設することを承認、シオニズム運動も進展した結果、第二次世界大戦後の1948年イスラエル国が建設されたが、アラブ人との間にいわゆる「パレスチナ問題」が生じ、深刻な国際問題になっている。
[漆原隆一]
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セム語族に属し,ユダヤ教を信じ,世界中に散在する民族。みずからはイスラエル人と称し,他民族からはヘブライ人と呼ばれ,バビロン捕囚以後ユダヤ人という呼称が広まった。祖先は前1500年頃メソポタミアからカナーン(パレスチナ)に移住してきた。エジプトへのさらなる移住と帰還(「出エジプト」)をへてカナーンに定住,前1000年頃民族王国を建設したが,ソロモン王の死(前922年頃)後王国は南北に分裂,それぞれアッシリアとバビロニアに滅ぼされた(前721年,前586年)。バビロン捕囚から帰還したユダヤ人は,以後主にユダヤ教によって宗教的に結ばれることになる。前63年ローマの支配下に入り,紀元後30年頃総督ピラトのもとでイエスの処刑が行われた。その後ローマの支配に対する2度のユダヤ戦争(66~70年,132~135年)に敗れ,首都イェルサレムも廃墟と化した。パレスチナはその後ビザンツ帝国,イスラーム教徒などに次々と支配され,ユダヤ人はその間世界各地に離散(「ディアスポラ」),西はイベリア半島,東は中国まで移住した。移住先のユダヤ人は多くの場合異教徒として差別的な扱いを受け,特に十字軍の時代のヨーロッパで激しい迫害を受けた。彼らは土地所有を認められなかったため,職業は金融,商業に偏り,それがまた攻撃の口実になった。啓蒙思想とともにユダヤ人解放思想が生まれ,フランス革命以後,19世紀のヨーロッパ各国でユダヤ人(ユダヤ教徒)にも公民権が与えられるようになったが,反面,民族的反ユダヤ主義(反セム主義)の運動も現れ,ロシアでは「ポグロム」と呼ばれる迫害が繰り返された。しかし史上最大のユダヤ人迫害は,反ユダヤを国是としたナチス・ドイツによって行われ,500~600万のユダヤ人が強制収容所などで殺された(「ホロコースト」)。この間アメリカに移住するユダヤ人も多く,またパレスチナにユダヤ人国家を建設する運動(シオニズム)も起こり,1948年イスラエル国が建国されたが,アラブ諸国やパレスチナ人との紛争が絶えず続いている。2000年現在,全世界で推定1400~1500万のユダヤ人のうちイスラエルに約500万,アメリカ合衆国に約600万が在住している。
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(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)
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…字義どおりには反セム人主義であるが,一般にはひろく反ユダヤ主義の意味で用いられ,またとくに19世紀末以降ドイツ,フランスなどユダヤ教徒解放が一応完了した諸国に起こり,中世以来の伝統的なユダヤ教徒差別とは性格を異にする近代反ユダヤ主義をさすことも多い。18世紀末までのヨーロッパでは,ユダヤ人とはもっぱらユダヤ教徒のことであり,ユダヤ教団への所属によって規定される身分であった。近代に入って社会の世俗化と身分制原理の崩壊がすすむにつれ,ユダヤ教徒への市民的権利の賦与,すなわちユダヤ教徒解放がおこなわれた。…
…正式名称=イスラエル国Medinat Yisrael∥State of Israel面積=2万0325km2―ヨルダン川西岸,ガザ,東エルサレム,ゴラン高原を除く人口(1996)=548万人―ヨルダン川西岸,ガザのイスラエル人および東エルサレム,ゴラン高原の人口を含む首都=エルサレムal‐Quds∥Jerusalem―ただし国際的承認はえられていない(日本との時差=-7時間)主要言語=ヘブライ語,アラビア語通貨=シュケルShekel西アジアの地中海東岸に位置するユダヤ人の建設した共和国。
【歴史】
19世紀の後半,主としてロシアおよび東ヨーロッパに居住していたユダヤ人の間から,前1000年ころから西暦1世紀にユダヤ教徒の王国があったパレスティナに移住し,ユダヤ人の独立国家を建設しようという運動(シオニズム運動)が興り,その後数十年間にわたって移住と建国のための運動が続けられた結果,1948年5月14日にイスラエル国の独立が宣言されるにいたったものである。…
…しかし強制収容所が政治支配の手段として重要な意味をもったのは,ファシズム国家とスターリン主義的社会主義体制のもとにおいてであり,戦争と革命・反革命が広く生じた20世紀の現代国家における統治の方法として注目すべき現象といえる。強制収容所は,国内における特定の社会層,たとえばナチス・ドイツではユダヤ人や少数民族,宗教者,コミュニストや左翼,またスターリン時代にはクラークやインテリ,旧メンシェビキ,トロツキストといった政治的反対者,さらに古参ボリシェビキや少数民族を政治的に隔離するだけでなく,強制的に労働力として利用する目的をもつものであった。これらの現象は制度ではなくテロルや暴力による統治が重要な意味をもつファシズム国家や革命国家において顕著であるが,民主主義国家においても,第2次世界大戦中のアメリカで日系人収容所の例があり(日系アメリカ人),また政治犯の強制収容の例もみられる。…
…質屋の息子だった西鶴の《日本永代蔵》《西鶴織留》《世間胸算用》には,勘定高い厳しさと相互依存の温かさの共存する質屋と質置主の人間的な関係が活写されている。質【斉藤 博】
[ヨーロッパの質屋]
西ヨーロッパにおける職業としての質屋の起源は中世にあり,徴利禁止法の適用を受けなかったユダヤ人を中心とする私的なもの,都市当局などの公的機関が救貧活動の一環として行ったもの,教会が主体となったものの三つの系譜が認められる。のちに質屋の看板として一般化する金色の三つ球は,イタリアのロンバルディア出身のユダヤ人の質屋が用いはじめたものであり,徴利行為に対する厳しい批判をうちだした1179年の第3ラテラノ公会議以後,ユダヤ人と質屋ないし高利貸のイメージとが重なりあっていったことを示している。…
… インド・ヨーロッパ語族に属する言語をもつ民族には,前記のロシア人,ウクライナ人,白ロシア人(ベラルーシ人)のほかに,バルト海沿岸にリトアニア人とラトビア人,ウクライナの南に,ルーマニア人と言語・文化の面で近いモルダビア(モルドバ)人がいる。また極東地方にはユダヤ人もいる。 なおユダヤ人はソ連で人口が減少している例外的な民族(1970年から27万人減)で,その原因は国外移住である。…
…そしてこの人種政策は戦時中ポーランドなどで過酷なまでに遂行されていった。さらにユダヤ人はヒトラーにとって健康な肉体をむしばむ病原体にほかならず,〈絶滅〉の対象でしかなかった。そのため,戦時中〈最終的解決〉の名のもとにユダヤ人は虐殺されていった。…
…すなわち,ベルガを祖とする南イタリアのベリズモとトリエステを中心とする心理主義の文学であり,両者はいわば辺境の文学である。 海港トリエステはユーゴスラビア,オーストリアとの国境に近く,政治的に東西両世界のはざまにあるため,ユダヤ人をはじめとして多種類の人種が生活し,文化的にはイタリア,スラブ,ドイツの3圏の交点に位置する。このためトリエステの文学は中欧の文学と結びつき,フロイトの精神分析を取り入れるなど,早くから心理主義的傾向をみせ,同時にイタリア文学を近代ヨーロッパの文学に結びつけた。…
… 民族国家形成以後は,これらの問題はいわゆるマイノリティ(少数民族)問題として論じられるようになった。現在マイノリティ問題として論じられる多くは,ユーゴスラビアのコソボのアルバニア人の場合のように,隣接国家の民族が自国内ではマイノリティとして存在する場合であるが,このほかに,バルカンに母国をもたないユダヤ人やジプシー(ロマ。現在ヨーロッパで最もロマ人口が多いのは旧ユーゴスラビア,その次がルーマニアだと推定されている)の問題がある。…
…イブリーを種族名とする見解も絶えないが,起源的にはパレスティナの貧窮した住民層を広く指していたとの想定が比較的妥当であろう。後代この語は《ヨナ書》におけるように,イスラエル人(びと)の意味で用いられるようになり(1:9),ユダヤ教時代にはユダヤ人の栄誉ある名称となり,彼らの古い言語をこの名で呼ぶようになった。新約聖書では,キリスト教に改宗したパレスティナのユダヤ人とのかかわりで用いられている。…
…このため政治的・宗教的信条の相違から迫害を受けたりする場合,他国に逃れてみずからを保護する必要が生じてくる。16世紀フランスで反新教徒による迫害から国外へ逃れたユグノー,17世紀イギリスからアメリカ大陸に移住したピルグリム・ファーザーズ,フランス革命期にみられた王侯貴族の亡命(亡命貴族émigré),ドイツの48年革命(三月革命)の際の自由主義者の亡命,1917年ロシア革命後,ソビエト体制に反対して国外に逃れたいわゆる白系ロシア人,ナチス・ドイツの迫害によって生じたユダヤ人や社会主義者,知識人の亡命など,戦争,革命,動乱,クーデタ,独裁政権などが発生する際に大量の亡命者を生みだしている。 亡命者(避難民)の問題を国際的に取り上げたのは国際連盟であった。…
※「ユダヤ人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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