精選版 日本国語大辞典 「ユトレヒト同盟」の意味・読み・例文・類語
ユトレヒト‐どうめい【ユトレヒト同盟】
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オランダ独立戦争のさなかに結ばれたネーデルラント北部7州の同盟。スペイン王フェリペ2世(在位1556~98)の対ネーデルラント政策は、カルバン派教徒の弾圧、自治権の抑制、重税となって住民を圧迫した。これに対し、同地方の南北諸州は、1572年以来本格的な反抗運動に入り、76年のゲントの和約によって団結した。しかし、その後南北の宗教の相違が表面化し、カトリック貴族の多い南部10州は、総督パルマ公ファルネーゼAlessandro Farnese(1545―92)と妥協し、スペインへの協調的態度を示す。そのため、カルバン主義を奉ずる北部7州、すなわちホラント、ゼーラント、ユトレヒト、ヘルデルラント、オーフェルアイセル、フローニンゲン、フリースラントの各州代表は、79年にユトレヒトに集まり、カルバン派プロテスタント信仰の堅持、外国支配に対する権利と自由の確保を目的に、「相互に生命と財産と血をもって助け合い、あたかも7州が1州であるかのように」結合することを誓約し、軍事費を共同負担とする軍事同盟としてこの同盟を結成した(1月23日)。81年、同盟はフェリペ2世の廃位、スペインからの独立を宣言し、オラニエ公ウィレムを指導者とした。のちにオラニエ公が暗殺され、同盟の結束も乱れがちであったが、フランスのアンジュー公、イギリスのレスター伯との協調を経て、1609年スペインとの「12年休戦」によって、同盟はネーデルラント連邦共和国として国際的地位を確立した。
[磯見辰典]
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スペインのフェリペ2世のプロテスタント弾圧に反抗して,ネーデルラントのプロテスタントを主体とする北部7州が,1579年に結んだ同盟。ユトレヒトに会し,本国の圧政に抗して,信教の自由を獲得するために戦うことを誓約した。81年にはオランダとして独立を宣言した。
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…貴族の反抗,聖像破壊運動(1566),アルバ公に率いられたスペイン軍の到着(1567)とアルバ公の圧政は,ついに八十年戦争(1568‐1648)を引き起こした。〈海乞食〉(乞食団)の蜂起による反乱側のホラント,ゼーラント両州占拠(1572)を経て,ネーデルラント北部の7州は,1579年ユトレヒト同盟を結成し,81年スペイン人に対する独立を宣言した。反乱の指導者オラニエ公ウィレム1世が84年暗殺されると,オルデンバルネフェルトが共和国の政治を指導し,オラニエ公の遺子マウリッツを指揮官にスペイン軍と戦い,1609年にはスペインと12年間の休戦条約を結んで実質的な独立を達成した。…
…ネーデルラント北部の7州がユトレヒト同盟(1579)を結成し,スペイン国王フェリペ2世の統治から独立して建国した連邦共和国。正式には〈ネーデルラント連邦共和国〉。…
…76年11月ホラント,ゼーラント両州と他のスペイン軍支配下にある諸州との間に〈ヘントの和平Pacificatie van Gent〉が結ばれ,ここに対スペイン全国同盟が成ったかに見えた。しかし77年〈永久令〉を承認して全国議会により迎え入れられた新執政ドン・フアンDon Juan de Austriaが結局は議会と決裂した後,威信の高まったオラニエ公に対する南部カトリック貴族の反感,とりわけ78年1月ジャンブルーでの議会軍の惨敗後激化した新旧両教徒間の確執は〈ヘントの和平〉を掘り崩し,79年1月南北にアラス同盟,ユトレヒト同盟が分立した。ドン・フアンの後継者ファルネーゼはこの状況に巧みに乗じてアラス同盟を手なずけ(アラス講和),また兵を進めて85年までにほぼ南部全域を平定した。…
※「ユトレヒト同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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