翻訳|Utrecht
オランダ中部の同名州の州都。人口27万5258(2005)。オランダの代表的な古都であるが,現在は商工業都市として発展している。産業では金融・保険,卸売業,家畜・青果市場を中心としたサービス業が大きな比重を占めており,次いで金属工業をはじめ建築,印刷,化学,食品加工の諸工業が重要となっている。また国の出先機関も多く,オランダ鉄道本社や王立博覧会事務局がある。ユトレヒト大学(1636創立)をはじめ高等教育機関や各種専門学校も多い。鉄道博物館,オルゴール・オルガン博物館など博物館も多数ある。第2次大戦後の人口の急増にともない都市域がたびたび拡張されたほか,1963年からは20年計画で駅周辺を中心に旧市内の再開発事業が進められ,近代的装いの都市に変貌しつつある。
市の歴史は古く,47年のローマ人の城砦建設までさかのぼる。ローマ帝国の滅亡後はフリース族やフランク族の支配下におかれていた。7世紀末にフランク王国の保護下でアングロ・サクソンの修道士ウィリブロードがここに教会と修道院をつくってキリスト教の布教を始め,また彼自身司教に叙せられたことから,ユトレヒトはネーデルラント地方北部のキリスト教の中心地(司教座)となった。その後ノルマン人の侵攻で一時荒廃したが,11世紀ごろから商業の中心地としても発展し,1122年に都市として成立した。13世紀半ばに司教座大聖堂の建設が始まり,市を象徴する有名な鐘塔(112m)は1321-82年につくられた。しかしこのころから商業がしだいに不振となり大商人や聖職者の力が弱まると,代わって手工業者のギルドが市政を掌握し,カール5世の時代まで続いた。16世紀後半にはカルバン派が下層市民の間に浸透し,ユトレヒトも独立軍側の一翼を担うことになる。オランダ共和国の出発点となったユトレヒト同盟は1579年に成立した。しかし共和国時代はとくに目だった発展はなく,12世紀に成立した都市域が19世紀半ばまでそのまま維持されていた。
執筆者:佐藤 弘幸
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…フランドル美術
[16世紀以前]
地理的・経済的な条件から必然的にオランダ(北部ネーデルラント)の中世美術は,隣接するドイツのラインラント地方と南部ネーデルラントのムーズ,スヘルデ両川流域からの強い影響を受け続け,その結果,移入された新様式は南東部から北西部へと伝播するのが通例であった。プレ・ロマネスクおよびロマネスク期に先導的な役割を果たしたのは,共にローマ時代にさかのぼる歴史を有する司教座所在地のユトレヒトとマーストリヒトである。ユトレヒトの聖ピーテル教会(11世紀)と聖母教会(12世紀。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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