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ユリウス・カエサルJulius Caesarによって制定され,前45年より実施された太陽暦。法令により閏(うるう)年を規定した最初の暦法で平年を365日,4年に1回の閏年には2月に1日加えて366日とした。しかし,この置閏(ちじゆん)法も最初のうち司暦の僧官に誤解されたため,前9年までは3年ごとに閏が置かれたので,アウグストゥスは前8年より4年まで置閏を禁じた。8年以後はずっと正しく置かれている。ローマではそれまでローマ暦という不完全な太陰太陽暦が用いられており,いまの3月に当たるマルティウス月(英語名March)が年初であった。ユリウス暦によって現在のような年初となったが,2月に閏日が置かれているのは,年末の2月に閏日が挿入されていたローマ暦の時代のなごりで,毎月の名称も日数もユリウス暦はローマ暦のものを継承している。ただ前44年と後8年に,カエサルとアウグストゥスがそれぞれ自分の名にちなむJuliusとAugustusを旧名称と変えたのみである。
執筆者:内田 正男
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古代ローマのユリウス・カエサルが紀元前46年に定め,用い始めた暦。このユリウス暦はローマ共和暦を改良したものだが,それまでの太陰暦に代えて,当時エジプトで用いられていた太陽暦を導入し,1年を365日とした。そして,太陽の周期(地球の公転)365.25日とのずれを修正するために4年に1度閏(うるう)の日(2月29日)を置いた。現在,世界中で用いられている西暦のもととなった暦である。
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ユリウス・カエサルによって紀元前46年からローマで用いられた暦法。1年を365.25日とする太陽暦で,4年に1日の閏日を2月に設ける。太陰太陽暦を廃して,エジプトの太陽暦を参照して作られた。ユリウス暦はローマの勢力範囲内に普及し,今日のヨーロッパ諸国の月名の起源をなす。1582年ユリウス暦を修正したグレゴリオ暦がローマで採用され,現在世界の多くの国が使用している。
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…ポー川以北・アルプス以南のガリアのラテン市にローマ市民権を与え,自治市の基準を示す法律を定め,元老院の議席をふやして広い層の人を登用した。また前45年1月1日から太陽暦(ユリウス暦)を採用している。しかし,権力・栄誉を一身に集中したため,共和政護持派のブルトゥス,カッシウスらに前44年3月15日,元老院議場で暗殺された。…
…この年のことを後世乱年と呼んでいる。ローマ暦ではMartius(英語March)が年初であったが,採用した太陽暦(ユリウス暦)ではJanuarius(英語January)が年初になった。現在の英語の月名は多くローマ暦時代のものであるが,Quintilis(5番目という数詞)月についてはカエサルの名まえにちなんでJulius(英語July)と改称され,次いでSextilis(6番目という数詞)月は皇帝アウグストゥスを記念してAugustus(英語August)と改められた。…
…このシリウスの観測によって1年の長さが知られ,またナイル川の洪水が農業に大きな影響をもったところから,エジプトは早くから〈365日〉をもって1年とする太陽暦が採用され,前1世紀には4年ごとに1日の閏日を挿入する方法が始められ,これがローマのユリウス・カエサルの手でローマの公暦となった。これがユリウス暦であり,1582年までヨーロッパにおいて使用された。 ギリシアの天文学がこうしてバビロニアとエジプトとの天文学を受けついで形成されていった。…
※「ユリウス暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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