ヨース(その他表記)Kurt Jooss

改訂新版 世界大百科事典 「ヨース」の意味・わかりやすい解説

ヨース
Kurt Jooss
生没年:1901-79

ドイツの舞踊家,振付師ラバンに学びその革新的な舞踊理論をもとに〈ノイエ・タンツ〉の実践者として活躍した。1927年,エッセンのフォルクワング専門学校舞踊部門のディレクター,30年エッセン・オペラ・ハウスのバレエ・マスターになる。32年反戦バレエといわれた《緑のテーブル》がパリ国際舞踊コンクールで第1位となるが,ナチスに追われ,33年にドイツを脱出。同時に〈ヨース・バレエ団〉を組織してイギリス,アメリカなどを巡演し数多くの作品を発表した。49年エッセンに戻り,フォルクワング専門学校の指導者に迎えられた。その門下からバウシュPina Bausch(1940-2009),ホフマンReinhild Hoffmann(1943- )ら新しい表現主義舞踊のすぐれた振付師を生んだ功績は大きい。彼の振付作品ではクラシック・バレエとモダン・ダンスとの融合が試みられ,社会性をもった現代的テーマが表現された。38の作品が残り,代表作《緑のテーブル》は,世界各地で上演され,日本でも77年スターダンサーズ・バレエ団により初演された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨース」の意味・わかりやすい解説

ヨース
Jooss, Kurt

[生]1901.1.12. ワッサーラルフィンゲン
[没]1979.5.22. ハイルブロン
ドイツの舞踊家,振付師。シュツットガルト音楽院,演劇学校に学ぶ。 1920年 R.ラバンに会い,舞踊の道に入った。ミュンヘンに舞踊団ノイエ・タンツビューネを組織し,各地を巡演。 27年エッセンの総合舞台芸術学院フォルクバンクシューレの舞踊科主任となり,翌年同校の学生と民俗舞踊研究所を設立。 30年エッセン歌劇場のバレエ・マスターになり,『緑のテーブル』 (1932) などを発表,同作品は民主政治退廃と台頭するナチズムを風刺して大評判をとった。ナチス・ドイツ時代はロンドンに亡命し各地で公演,彼の舞踊団はヨース・バレエ団として知られるようになった。第2次世界大戦後エッセンに戻り,68年引退後も娘とともに自作再演にあたった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヨース」の意味・わかりやすい解説

ヨース
よーす
Kurt Jooss
(1901―1979)

ドイツの舞踊家、振付者。ワッセラルフィンゲンに生まれる。R・ラバンに舞踊を学び、1924年S・レーダーと新舞踊劇場(ノイエ・タンツ・ビユーネ)を創立、『悪魔』などの作品を上演。1929年にはエッセンの「フォルクワンク・シューレ」の舞踊監督に就任。『大都市』『古きウィーンの舞踏会』などを創作、1932年にパリの国際舞踊文庫の創作コンクールに『緑のテーブル』を出品、受賞した。このバレエは国際政治と軍事行動を風刺したもので、反戦舞踊の名作として有名である。ナチスの勃興(ぼっこう)でイギリスに亡命したが、1949年エッセンに帰り、創作活動とともに舞踊教育に精力を注いだ。彼の門下からバウシュPina Bausch(1940―2009)、ホフマンReinhild Hoffmann(1943― )らが出た。

市川 雅]

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